4-C 根拠の部分の書き方の注意
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a 随筆の形式の場合は?
b 大事な部分は考察である
c 複数の結論が存在する
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随筆の形式の場合は?
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●でも課題文になるのって、論文形式の文章だけじゃないんでしょう?
■いいところに気がついたね。他にも随筆とか、詩とか割によく出るよね。
●そういう場合は、どうするんですか?
■それぞれに少しずつ解き方が違うんだけど、何からやろうか?
●よく出る順にしましょうよ。
随筆の形式とは?
■それなら随筆形式の文章だね。これは論文形式とはかなり違う。論文は、自分の考えが正しいということを読者に納得させなければならないけど、随筆またはエッセイは、正しいことを主張しないんだ。
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随筆は主張ではない |
●ちがったことを書いてもいいの?
■そういうわけじゃないけど、少なくとも正しいということを証明しなくてもいいわけ。「こんな風に考えられるかもしれないなー」ぐらいでも十分いいんだ。
●何でそんないい加減な書き方で許されるわけ?
■エッセイという言葉はもともとフランス語から来ていて、「試み」というぐらいの意味なんだ。
この形式の文章はルネッサンスの頃、モンテーニュという人が始めたんだけど、もともとカジュアルな文章形式なんだね。あんまり気張らない方が、いいアイディアが出てくることが多いからなんだね。むしろ随筆は感想文に近いと言えるね。
●ふーん、わざといい加減にしているんだ。
■まあ、そういうことだね。
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大事な部分は考察である
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●で、エッセイの歴史は分かったとして、実際はどう処理するんですか?
■エッセイにはいろいろな形式があるんだけど、日本で多いのは次のような形式だね。まず自分の身に起こった体験を書く。たいていはそこから強い印象を受けているから、感想がそれに続く。最後に、その事柄をやや深く考察する。この三段階になるね。つまり
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体験⇒感想⇒考察
という三段構成をとるんだ。
●「昨日、ウチのポチが死んだ。悲しかった。思えばあいつとは14年も一緒にいたことになる。」
■うまい、うまい。そんな程度の随筆を書くエッセイストはけっこういるよね。まあ、犬が死んだくらいのことじゃ、あまりにも内輪すぎて、読者も面白くないだろうから、ラストの考察の所は「思えばペットと人間の関係というものは…」なんて書くといいかもしれないね。
●なるほど。ペット好きの人なら興味を持つかもしれませんね。
個人的体験から一般的考察へ
■つまりエッセイでは、個人的な体験を、他人も興味が持てる一般的考察に変えていくわけだね。「現代ではペットと都会人の関係は…」なんて書くと、都会に住んでいて寂しいなと思っている人は「読んでみようかな」と思うかもしれない。
●じゃあ随筆の場合は、どこを要約するんですか?
■もちろん、考察の所だよね。
●あっ、そうか。最初にやった例題もこの形式か。
■そう。あれも「大学生がノートを取らなくなったことに気づく」という体験から始まって。どうもおかしいと感じるわけ。その原因は何か、と次々に考察していく。
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随筆は考察の所をまとめる |
●ふーむ、たしかに体験⇒感想⇒考察の構成になっていますね。だから、最後の「ヴァーチャル・リアリティの悪影響」という所に絞って論じなければならなかったんだ。
■ただし気をつけなければならないのは、さっきも言ったようにエッセイは「試み」だから、最後が結論できちっと終わるという形になっていないことだ。次の例題をやってみよう。
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■次の文章内容から、各自で問題点を指摘し、その間題点について、600字以内で論じよ。問題点を指摘する部分も字数に含めるものとする。
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どんな時代でも、人は同じような感慨を抱くものらしい。そうしたものの一つに、「最近の若い奴は」というのがある。どうも、一定の年齢に達すると、この言葉がいいたくなるようだ。最近、同年配の友人と会う度に、若い人に手を焼いているという話が出る。ある役所に勤めている人から、こんな話を聞いた。 その課で会議を行い、その内容を部内に回すために、部下に議事録を取りまとめるように指示した。要点をまとめるだけの仕事なので、この春入社したばかりの新人に書かせた。やり方はわかるかと聞くと、大丈夫ですと答えた。ほぼ一日かかって仕上げ、彼のところに持ってきた。彼はそれを読んで驚いた。要点をまとめるどころか、さっぱり要領を得ないものだった。
「誰かにやり方を聞いたのか?」
「自分で考えて書きました」
「これじや内容がわかりにくいんだよ」
「そうですか」 彼は部下の前で、ほんの五分ほどで書いてみせた。
「こういうふうに書き直してくれよ。この方がわかりやすいだろ」
「たしかにわかりやすいですけど、それじゃ個性がありませんね」
友人はその話をして大きな溜め息をついた。
「すべてがこの調子なんだよ。何か、こう、話が通じないって気がするんだよ。わかるか、できるかって聞くと、はいできますと答えるんだよな。やらしてみると、まるでダメ。文句をいうと、誰も教えてくれなかったからというんだ。自分からは絶対にやり方を聞こうとはしないんだけど。黙ってすわっていれば先輩たちが教えにきてくれると思っているのかね。一流の大学を出て、優秀な成績で合格した奴だよ。わけがわからんよ」
似たような話は幾つもある。わたしのように自宅でする仕事ならいいが、毎日の仕事や生活の相棒である。わからんと嘆くだけですむ話ではない。
若者の方では相棒とは思わず、教師か家庭教師のたぐいと区別がついていないのかもしれない。それまでその若者の身の回りにいた人たちは、すべて彼の気持ちを思いやり、彼のために懸命に何かをしてくれる親しい人たちだったのだろう。人に何かを相談する必要もなかったのかもしれない。教えられたことを従順にやりさえすれば、人はほめてくれるものと思っているのかもしれない。
きっと友人が途方にくれているように、部下の若者も新しい世界で途方にくれているのだろう。一日も早く仕事を覚えることや職場のルールに慣れようとすることへの懸命さは昔と多少違うようだが、それでもいつかは慣れてくるはずだ。若い人も、いろいろなことに我慢をしながら、自分なりの楽しみや自信を得て、だんだん年をとっていく。年長者たちの根気強さやしぶとさに敬意を表するようになると、ある日「近頃の若い奴は」と呟くようになるのだろう。
なぜ、年をとると若い人たちが気に障るようになるのか。若さを誇る傍着無人さが疎ましくなり、自分勝手な若者に邪魔されないで暮らしたいと思うようになる。若者と若くない者がいつでもうまく溶け込めないのは、若者の好きな『個性』の部分にあると思う。個性にこだわり、自分らしさにこだわりたいと口癖のようにいうけれど、みんな揃って同じことをいうのは、個性のないことを吹聴しているようなものだ。 何もないから自分の若さと好き嫌いだけを判断の基準にしている。自分のことを客観的に考える力を持ち、自分なりに大切なものが決まってくれば、それだけで十分に個性的になる。人と違うことをし、目立つことをするのが個性とはいえない。若者にはどんな可能性もあるけれど、だから偉いと考えるのは自由な発想ではなく、あまりにも単純な思い込みではないだろうか。もちろん、本当に個性的な若者もいるし、わがままなだけの中高年者も少なからずいるが。
こんな話もある。サラダ記念日がベストセラーになっている時、ある短歌結社の同人との話で俵万智の話題になった。
「わたしは読んだことがないけど、あんな年で短歌が詠めるわけがないでしょう。歌は奥が深いものなんだから。ベテランや長老がたくさんいるし、わたしなんかまだ若手なんだから」
当人の年齢は四十五歳。「近頃の若い奴は」という言葉の裏には、若さに対する妬みやいつまでも若くありたいという願望が秘められているようだ。若い人は本能的にそういった部分を感じとり、反発するのだろう。そういえば、わたしももう四十歳をすぎてしまった。
(増田みず子の文章による)
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●わー、さっきの歴史についての文章に比べたら、読むのすごくラクー。
■では、さっそく要約してください。
●簡単だよ。えーと…最近の若者はけしからん、ということでしょ。大人っていつもこういうこと言ってばっかりだね。だいたいエジプトのピラミッドにも書いてあったみたいよ。「最近の若者は…」って。
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体験はどこか? |
■もう習ったことを忘れているのかい。体験⇒感想⇒考察の構成に分けて考えなきゃ。
●ああ、そうか。えーと、体験は? えっ、これってどこが体験なんですか? 人から聞いた話でしょう?
■それだって、友達から聞いたという体験と言ってもいいだろう。
●なーるほど。では感想は?
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考察は推量している部分 |
■「わからんですむ話ではない」というところ。つまり結構大変な問題だなー、と感じているわけだ。
●ふむふむ。じゃあ、考察の部分は?
■聞いてばかりいないで、少しは自分で考えなさい。
●わかりましたよ。きっと考えているところだから、「〜だろう」とか「〜かもしれない」なんて書いてあるところがそうかも…。
■おー、なかなかいい感じだね。
●えへん、私だってやればできるんです。「若者とそうでない人がうまくいかないのは、若者が好きな個性の部分にあるのだろう」なんかどうですか?
■つまり、この文章は「個性について」書いてある文章だと言うことになるね。
●そうなりますね。
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複数の結論が存在する?
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若者と人間関係 |
■でも途中からちょっと違ってきていないかい?「若者は仕事の仲間と世話をしてくれる人の区別が付かないのかもしれない」なんて部分は個性についてじゃなくって…
●若者と周囲との人間関係みたいですね。そうか、さっきの要約は間違っていました。この文章は個性についてじゃなくて、「若者の人間関係の難しさ」を述べた文章ってわけです。
■ホントに? じゃあ最後の所はどうなっているの? 「そういえばこういう話も聞いた…」のところだけど、ここに出てくる人は中年の人だよねえ。
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中年への批判? |
●あれー、本当だ。これはちょっとちがうなー。どっちかというと、若者に嫉妬している中年という感じですね。
■「若さへの嫉妬が感じられる。だから若者は反発するのだろう」これはむしろ中年の方に問題があるという感じだね。
●結局筆者は何を言いたいんじゃー!?
■そういう風に短気を起こしちゃ、エッセイを読む資格はないね。何しろエッセイでは結論がはっきりしないことがあるというのも、一つの特徴だから。
●えーっ、結論はないんですか?
ひとつだけ選ぶ
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随筆では結論は一つに決まらない |
■少なくともたった一つには決まらないんだ。
●そういう場合はどうしたらいいの? 結論っぽいところ全部に触れるとか?
■もちろんそんなことしちゃダメだよ。小論文は随筆とは違う。問題も解決もたった一つで、しかも内容が一貫してなくてはならない。複数触れるなんて論外だよ。
●えー、じゃあ課題文のいくつもある結論をどう処理するんですか?
■だからひとつだけ選べばいい。というよりひとつだけ選ぶべきなんだ。
●どれでもいいんですか?
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問題として使えそうな結論を一つ取り上げる |
■好きなものでいいよ。ただしどれでもいいわけではない。その中で問題として使えそうな矛盾や疑問を含むところを選ぶべきだ。随筆の結論の中には、ごくごく常識的なものもあって、そういうところは書いても仕方がない。たとえばここだったら「中年になると若者のことが気に障る」なんてことを中心に書いたってダメだね。
●分かり切ったことだからですか?
■そういうところは書いても面白くないので、避けた方がいいね。
●どれを問題として取り上げようかな、よりどりみどりというわけですね。
■もちろんその後は小論文の基本構造、問題⇒解決⇒根拠に従う。まちがっても、課題文の随筆と同じように書いてはいけないよ。
●大丈夫ですって!
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今週の講義のポイントをまとめてみました。内容を思い出しながらもう一度復習してみよう。意味が理解できないときは説明文に戻って読み返してみよう。
納得できたら、さあ、今週の課題 (Homework) に挑戦!
A
課題文は要約して始める
現象ではなく、本質を問題にする
B
論文形式⇒要旨は「問題+解決」
比喩や例示は補助材料にすぎない
具体的なところはカット、抽象的なところを残す
C
随筆形式⇒考察の部分が大切
未解決の結論もあるので注意
複数の結論の中から、一つの論点を取り上げる
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