4-B 要約はどのようにするか
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a どこが重要な点か?
b 要約の実際―問題と解決
c 例や比喩をカットする
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どこが重要な点か?
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●ところで、要約とか要旨って実際はどう書いたらいいんでしょう?よく「この文章を要約してみましょう」なんて国語の授業であったけど、結局、どうやっていいか分からなかったんですよ。
■要約は「文章の重要な点を短くまとめたもの」(新明解国語辞典)と言われているけど。
●だから…まず「重要な点」がどこなのか、分からない。それにどうしたら「短くまとめ」られるか、わからない。
■ふーん、キミもずいぶん進歩したね。自分の分からないところを分かる、というのはすごい進歩だよ。しかもそれをすごく明快な言葉で表現している。感心感心。
●そんなことより、要約の仕方を早く教え下さい。
論文形式の文章の場合
■まず「重要な点」だけど、これは論文形式の文なら明らかだと思うよ。論文形式の基本構造は、問題⇒解決⇒根拠だろう? ここで一番大事なところはどこだろう?
●それは解決の部分に決まっているでしょう。だってそこが筆者が出した答えなんだから。
■そうだよね。だから解決の部分をまず残す。だってそこが一番筆者の言いたいこと、つまり主張だから。
ただ要約したときに、どんな問題について書いているのか分からないと困るから、課題文の問題の部分をできるだけ簡潔にしてくっつける必要がある。つまり「要約=問題+解決」ということになる。
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問題と解決が重要な部分 |
●それだけでおしまいですか?
■そうだよ。
●何だ、簡単じゃないですか。心配して損しちゃった。
■ただそれだけだと、なぜその解決が正しいのか、読者に分からない。だから字数に余裕がある場合などでは、根拠の部分をつけ加えた方がよい場合もある。
もちろん全部入れてはいけないよ。理由の部分だけだ。それも一文にすること。説明の部分は長くなるから入れない。つまり基本的には…
要約=問題+解決(+理由)
比喩や例示はカットする
●それだけでいいんですか?
■何より大切なのは、絶対に例示・データ部分は入れないこと。
●どうしてですか?
■この部分に含まれるのは実例、対比、比喩、引用などだけど、こういうものは、読者の具体的イメージをかき立て、臨場感を与え得るための補助材料にすぎない。メインの内容じゃないんだ。だから、カットした方がいい。
根拠の部分はカットする。とくに例示・データの部分はいらない
●でも例が入っていると、いろいろ想像できて分かりやすいですよ。
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例は補助材料である |
■それはそうだけど、大切なのは想像ではなくて、結果なんだ。だから、例は絶対に入れてはいけない。例示は絶対に要約に入れるな、絶対に入れてはいけない!
●そんなに何回も言わなくても分かります。
■間違う人が多いんでね、とくに強調しておきたいんだ。
●でも、たしかに例示に先に目がいっちゃうことも確かですね。なんて言ったって分かりやすいもの。気をつけなくちゃ。
例外もあるけど
■ただしこれも例外がある。心理学など実験を主体とする学問では、データの部分を抜かしたら意味がなくなってしまう。データこそ大切なんだ。だからこういう場合は、実験の方法やおおざっぱなデータの傾向は入れることが多い。
でもそれ以外の文章は、実例など具体的なところはカットしていいんだ。原則的に、文章では具体的なところはなるべくカットして、抽象的なところを残してやると、要約になることが多いんだ。次のセクションでは、例題で考えてみよう。
具体的なところはカット、抽象的なところを残す
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要約の実際―問題と解決
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■次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。 |
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歴史はいったい何の役に立つのか。」まずこういう問題を出す人があるのはもっともである。ことに、自然科学や応用科学に主に関心をもつ人びとに代って、この疑問を出しても公正を欠きはしまいと思う。
過去数十年のあいだに成就された科学の驚異的な進歩とひきくらべて、歴史をただ閑人のもてあそぷ遊戯にすぎないものと考えたり、他の学問のように実用的でも実利的でもないから、非常の時に際してはやめてもかまわない学問のようにみなす傾向が、とくに歴史以外の学問に従事する人びとのあいだに見られるようである。私はこのような態度ははなはだ誤った、むしろ危険な態度でさえあると思う。それどころか、歴史がさかんに学ばれ、これに対する継続的な興味が存在しているということは、真の文明社会に当然備わっているべき一つの特色であると私は考える。
歴史は過去の人びとの行動を系統的に研究する学問である。歴史の人類に対する関係は、記憶の個人に対する関係に同じである。それは自分の国の、また自分の住む町の起原、あるいは自分の職業の起原をさえ、知りたいという世界共通の欲求に応えるものであり、全世界が親近感で結ばれるために必要な教訓を提供するものであり、あらゆる複雑性と矛盾と片意地とを備えた人間を取扱うため、自然科学ほど割切った学問ではないが、それだけに想像力に訴えるところの多い学問である。しかし過去のなかには冷たい死んだ事実がある。そしてこれを探ることこそ歴史の究極の目的であると信ずる歴史家があった。ディッケンズの作品Hard Times(一八五四)の中に出てくるグラドグラインドという人物は「ところでわしの望むものは事実だ。この子供たちに事実以外のなにも教えることはならぬ。」と言っている。このような態度は子供の心に折角芽生えた歴史に対する興味をすっかり簡単に抹殺してしまうだけでなく、それは歴史の本質を傷つける態度である。
いうまでもなく、われわれは事実を含む相当豊富な知識を所有せずには歴史を書くことができない。しかし、ただ煉瓦をむやみに積みあげても家ができあがらないのと同様に、事実に開する知識をやたらに並べても歴史はできあがらない。歴史とは本来関係した事実を選び出して、その相互関係を評価することである。歴史家の仕事は写真屋の仕事よりはむしろ画家のそれに似ている。すなわち歴史家は与えられた歴史上の問題のなかから顕著な特色を選び出して、これを配列し強調しなければならないのであって、目についたものを手当り次第に並べたててはならないのである。一本の樹という印象を伝えるためには、その葉を数え、枝の長さを測り、つぎにこれを引き抜いて目方を量ってみたところで、得るところはない。すぐれた画家ならば、ただ二、三度筆を動かすだけで、その樹の印象を伝えることがしばしばある。同様に歴史で大切なのは全体の輪郭と肝要な細部である。避けなければならないことは、無関係な事実を積み上げて、身動きもできないものにしてしまうことである。
以上に述べたことがらに異議がないならば、私はこれをもう一歩進めて説明したい。歴史を一般にうけ容れられた判断のはてしない連続としてでなく、確認された究極的真理の集積として、若い学生に示そうとする傾向はしりぞけなければならないものと私は信ずる。いうまでもなく、これらの判断そのものは新しい思想ならびに研究の結果に照して、変更されるべきものである。なるほど青年が暫定的で相対的なものよりら、究極的で真理であることを間きたがるものであることは私も知っている。しかし歴史というものは、つねに拡大する知識の上に立つところの、たえず変転し、往々相互に矛盾する意見から成るものであるという基礎概念を青年に認識させるべきだと思う。 (E‐H‐ノーマンの文章による)
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問1
筆者は歴史をどのような学問と考えているのか、200字以内でまとめよ。
問2
この文章を参考にして、あなたは歴史をどのようにとらえるか、600字以内で書け。
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●うわ、長い文だなー。こういうの読むの苦手なんですよね。どちらかというと理科系の科目が好きなんで、「歴史」とか訳が分からない…
■でも、これはもともと医学部で出された問題なんだけど…
●信じらんなーい!
■さて、これをどう解くか。さっきの原則に従って、問題と解決を探していこう。まず問一について。問題は何だろう。
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設問の指示に合わせて要約を考える |
●歴史は何の役に立つか?
■それは文章全体の話題としてはいいけど、問一としてはよくない。問一では「筆者は歴史をどのような学問と考えているのか」と聞いているから、そういう視点から要約しなければならないんだ。だから問題は「歴史はどのような学問か?」だよね。
●じゃ解決は「歴史は〜という学問だ」と書いてあるとこを探せばいいんだ。11行目「歴史は過去の人々を系統的に研究する学問である」要約終わり。
■間違いじゃないけど、ダメ。
●どうしてですか?
■だって歴史が「過去の人々を系統的に研究する学問である」ことは、常識で分かり切っていることだよ。論文は筆者独自の意見を出すための文章だから、こんな風に常識的な内容の所はいらないね。
独自の定義を探す
●じゃどうすればいいんですか?
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解決は筆者の独自の意見を出しているところ |
■それより16行目の「想像力に訴える…学問である」の方が、独自の主張と考えられないかな? 歴史は普通事実に基づくものだと思われていると思うよ。だから歴史は「想像力に訴える…学問である」という主張は面白い。常識をひっくり返しているからね。あとどこがいいかな?
●25行目の「歴史とは…」なんかどうですか? いかにも「歴史とは何か」の答えになっていそうだけど。
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むしろ常識に逆らうところを探す |
■「とは」はものごとの定義、つまりその内容のはっきりした説明、を導入するときによく使われる言い方だ。OKだね。それから?
●32行目の「歴史で大切なのは…」、大切だって書いてあるから大切なんでしょうね。結構いっぱいありますね。
■少しやり方が分かってきたみたいだね。筆者の解決、つまり主張を表すには特殊な言い方があるんだ。「とは」とか「たいせつなのは」とか、他にも「本来」「根元的には」などいろいろな表現がある。
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主張を表す言葉に注意 |
●なんだか看板みたいですね。
■そう。文章を道路にたとえるといい。「止まれ」とか「近くに学校あり」とかいう標識が出ていて、どう道路を走ればいいかわかるだろう?
●文章でも、特別な表現に注意して読めばいいわけですね。
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例や比喩をカットする
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■今度は具体的なところ、つまり例や比喩なんかを落としていこう。たとえば11行目の「歴史の人類に対する関係は、記憶の個人に対する関係と同じである。」はアナロジーといって、「ちょうどこれに似ている」という書き方でイメージを与える言い方だ。実例や比喩と同じだからカット。
●17行目の「ディッケンズの作品…」は実例、これもカットしていいですね。
■それだけではない。16行目「しかし過去の中には」から22行目「〜歴史の本質を傷つける態度である。」までは、歴史に対する間違った態度、対比になっているから全部カット。
さらに第三段落はじめの「いうまでもなく」の一文は「いうまでもない」当たり前のことを書いているから重要でない、カット。次の文も「歴史は〜ない」と終わっているからカット。29行目「一本の樹…」も比喩だからカット。この段落最後の「避けなければならないことは」もカット。否定表現は基本的にカットする。
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対比や否定表現はいらない |
●第三段落で残るのは、「歴史とは本来関連した事実を選び出して評価することである」「すなわち歴史家は与えられた歴史上の問題の中から顕著な特色を選び出して、これを配列し強調しなければならない」「歴史で大切なのは全体の輪郭と肝要な細部である」だけですね。
■つまり、第三段落は「歴史とは、関連した事実の特色を選び、それを(適当に)配列し強調することで、その相互関係を評価し、全体の輪郭を必要な細部とともに描くことである。」とまとめられる。他の段落についてもやって見よう。
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