Exercise 4-B


■例題の問1 「筆者は歴史をどのような学問と考えているのか、200字以内でまとめよ」を解いてみよう。


 歴史はいったい何の役に立つのか。」まずこういう問題を出す人があるのはもっともである。ことに、自然科学や応用科学に主に関心をもつ人びとに代って、この疑問を出しても公正を欠きはしまいと思う。
 過去数十年のあいだに成就された科学の驚異的な進歩とひきくらべて、歴史をただ閑人のもてあそぷ遊戯にすぎないものと考えたり、他の学問のように実用的でも実利的でもないから、非常の時に際してはやめてもかまわない学問のようにみなす傾向が、とくに歴史以外の学問に従事する人びとのあいだに見られるようである。私はこのような態度ははなはだ誤った、むしろ危険な態度でさえあると思う。それどころか、歴史がさかんに学ばれ、これに対する継続的な興味が存在しているということは、真の文明社会に当然備わっているべき一つの特色であると私は考える。
 歴史は過去の人びとの行動を系統的に研究する学問である。歴史の人類に対する関係は、記憶の個人に対する関係に同じである。それは自分の国の、また自分の住む町の起原、あるいは自分の職業の起原をさえ、知りたいという世界共通の欲求に応えるものであり、全世界が親近感で結ばれるために必要な教訓を提供するものであり、あらゆる複雑性と矛盾と片意地とを備えた人間を取扱うため、自然科学ほど割切った学問ではないが、それだけに想像力に訴えるところの多い学問である。しかし過去のなかには冷たい死んだ事実がある。そしてこれを探ることこそ歴史の究極の目的であると信ずる歴史家があった。ディッケンズの作品Hard Times(一八五四)の中に出てくるグラドグラインドという人物は「ところでわしの望むものは事実だ。この子供たちに事実以外のなにも教えることはならぬ。」と言っている。このような態度は子供の心に折角芽生えた歴史に対する興味をすっかり簡単に抹殺してしまうだけでなく、それは歴史の本質を傷つける態度である。
 いうまでもなく、われわれは事実を含む相当豊富な知識を所有せずにば歴史を書くことができない。しかし、ただ煉瓦をむやみに積みあげても家ができあがらないのと同様に、事実に開する知識をやたらに並べても歴史はできあがらない。歴史とは本来関違した事実を選び出して、その相互関係を評価することである。歴史家の仕事は写真屋の仕事よりはむしろ画家のそれに似ている。すなわち歴史家は与えられた歴史上の問題のなかから顕著な特色を選び出して、これを配列し強調しなければならないのであって、目についたものを手当り次第に並べたててはならないのである。一本の樹という印象を伝えるためには、その葉を数え、枝の長さを計り、つぎにこれを引き抜いて目方を量ってみたところで、得るところはない。すぐれた画家ならば、ただ二、三度筆を動かすだけで、その樹の印象を伝えることがしばしばある。同様に歴史で大切なのは全体の輪郭と肝要な細部である。避けなければならないことは、無関係な事実を積み上げて、身動きもできないものにしてしまうことである。
 以上に述べたことがらに異議がないならば、私はこれをもう一歩進めて説明したい。歴史を一般にうけ容れられた判断のはてしない連続としてでなく、確認された究極的真理の集積として、若い学生に示そうとする傾向はしりぞけなければならないものと私は信ずる。いうまでもなく、これらの判断そのものは新しい思想ならびに研究の結果に照して、変更されるべきものである。なるほど青年が暫定的で相対的なものよりら、究極的で真理であることを間きたがるものであることは私も知っている。しかし歴史というものは、つねに拡大する知識の上に立つところの、たえず変転し、往々相互に矛盾する意見から成るものであるという基礎概念を青年に認識させるべきだと思う。     (E‐H‐ノーマンの文章による)


解答欄  答えを書いて、例解と比べてみよう。

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