Homework9

さあ、今週の課題をやってみよう。書いたらmailで送信。
このBASICコースでは時間制限はないので、納得するまで書き直して完成させてみよう。

■次の文章は、実際に行なわれた体験授業の記録の一部である。これを読んで、各問に400字以内で答えよ

問1 筆者はなぜこのような授業を実践したと考えられるか、書きなさい。

問2 彼女の授業に対して、あなたはどのように思うか、書きなさい。


◎にわとり狩り一後藤有理子
 とても、ざんこくでした。
 にわとりを殺しました。わたしは殺せませんでした。殺し方学習というので、先生が見せてくれました。まっ赤な血が、ぴゅ−っととびちりました。あたり一面がまっ赤にそまりました。わたしのすきなにわとりも、殺されました。
  「もう、やめてっ、やめてったら−」
女子は泣きさけびました。にわとりをだきながら、泣いている人もいました。男子がナイフをもって、おいかけてきました。
  「バカバカバカっ、れい血人間−」
なんどもなんどもさけびました。でも、もうだめでした。ほとんど殺されていました。 (鳥山注一八高線の鉄橋の)大きい柱の後ろで、声も出さないで泣きました。
 「も、もう、わたし、なんにも食べない!」
 そう、わたしは言いました。でも、ほんとうはとってもとってもおなかがすいていました。さっき、わたしがいったようなことをいった人も、しまいには、
 「わたし、鳥の肉だけ食べない」
 といっています。なんだか、なさけない気持ちです。でもわたしもソーセージを二本、たべました。

 子どもたちは、朝から一滴の水も、食べものも口にしていない。まず、空腹にしておくことがTにわとり殺し参加の条件であった。あと四日もすれば十一月だというのに、よく晴れわたった暖かい日曜日。前日までつづいた雨はうそのよう。東京の郊外、昭島市の中村博紀さんの田んぼに、総勢九十人以上が集合。四年五組の子どもたちとその兄弟、母親たち、わたしの友
人四人、わたしの息子と娘である。この日は中村さんのほかに、協力者がもう一人。『子どもを救え』などを書いた新島淳良さんの息子さんの雄高さんである。彼は元・ヤマギシ会のメンバーで、にわとりをつぶすことにはなれているという。彼をつれてきてくれたのは、サークル「授業の広場」の仲間・高崎明さんである。
 まず、中村さんの田んぼで、六月に田植えした稲を母子で刈った。二時間ばかり、刈ったり、たばねたり、干したりしたあと、歩いて二十分ばかりある多摩川ヘ、にわとり狩りに出かける。
 にわとりは二十二羽。ダンポール箱のなかにいれておいた。早朝、中村さんと二人で、養鶏をやっている大野さんのところへ行って、いただいてきたものだ。大野さんは、私が昭島市の学校につとめていたときの父母で、いつも授業に気持ちよく協力してくれた、数少なくなった東京のお百姓さんの一人だ。最初は、七、八羽でにわとり狩りを行なうつもりだったが、大野さんがどんどん箱につめてくれたため、二十二羽にもなってしまった。それは、卵を生むよりもエサ代のほうにお金がかかるようになったにわとりだった。中村博紀さんが用意してくれたもの−肉をさす七十センチくらいの竹のくし百本以上、大きな鉄のおかま、かまど、アルミの大なべ、鉄の大なべ、包丁、まないた、金しゃもじ、小麦粉、水のはいった大きなポリバケツ、ゆでピーナツ、しょうゆ、しお、野菜、つけもの、まき、殺したにわとりをつるす竹ざお。それらと二十二羽のにわとりを入れたダンボール箱を、中村さんと新島さんの車二台に積んで多摩川ヘ。
 そのほかにお母さんたちが用意したものは、ナス、ピーマン、ウィンナ・ソーセージ、小麦粉、うどん、しょうゆ、包丁、まないたである。子どもたちは着がえの服とおわん、おはしをもってきていた。それらはそれぞれがしょって多摩川ヘ。弁当と水とうはもってきてはいけないことにしておいた。

 長い列をつくって歩いた。二十分ばかり歩いたところで多摩川の大きな堤防に出た。まっ青な、雲一つない空。自銀のススキの穂が波うち、多摩川の水がまぶしく光っている。遠くに富士山がくっきりと美しい。多摩川が見えたとたん、子どもたちの足ははやくなる。土手を走った。冷夏異変で、まむしが出る可能性もあるので、注意をしておいた。広い川原をとおり、ススキの穂波のあいだをぬって八高線の鉄橋の下ヘ。きのう下見をしておいたところだ。そこは、
 「昭島くじら」発見の場所としても有名である。危険なところはあまりないが、なれない川だけにじゅうぶん注意を与える。母親たちは手わけをして子どもたちをみることにしている。

 到着するやいなや、子どもたちはすぶぬれになってもいい服に着替えた。着替える時間ももどかしいらしく、心はもう多摩川のなか。きゃっきゃっと大よろこびで水にはいる。気のはやい子は、もう釣りをはじめている。あたたかいので下着一枚になったり、パンツだけで川のなかにはいったりする子もいる。ビルの谷間が遊び場になっている子どもたちなのだ。いまは、にわとり狩りの準備をするよりも、少しでも川で遊ばせてやりたい。わたしは親たちに声をかけ、車につんできた道具、食糧、水、まき、にわとりを、ほとんど大人たちの手で運んでもらうことにした。なにとて都会育ちの親子。石でかまど一つつくるのもたいへんだ。中村さんの指導をうけて、なんとか大きなおなべとおかまで大量の湯をわかした。さあ、いよいよ、にわとり狩りだ。「おおい、集まれ! にわとり狩りだよ」さすがは都会っ子だ。男の子の多くが手にしているのはりっぱな高価なつり道具だ。けれど、どの子も一ぴきもまだつれてはいない。糸をまきとる音だけはよくひび いていたが。釣りに未練を残しながらも集合。

 「いまから、にわとりを放つよ」
 ダンボールのなかのにわとりは、逃げないように両翼を長時間、交差されていたためか弱っている。それでもダンボールから出されたにわとりは、あちこち歩きまわりはじめた。こわごわ追いかける子。つかまえて抱きかかえる子。水のなかまで逃げていくにわとり。かまどの煙のなかですくんで動かないにわとり。
 「先生、これ殺すの、いやだよ」
 母親たちも、「殺すのなんてかわいそう」「できないわ」といっている。
にわとりをみればみるほど、殺したくないと思う心は強くなっていく。絶対、殺したくないといって抱きかかえ、火から遠ざかっていく女の子たちをみて、男の子が追いかけていく。男の子だって、殺すのはいやなのだが、女の子のてまえもあってか、あまり態度にださない。
 「さあ、中付さんに、にわとりのつぶし方を教えてもらうから、よくみてて」  
 中村さんは、にわとりの首をきゅっとひねった。子どもたちも親たちも思わず顔をそむける。ぐにゃっとなったにわとりの両足をおさえ、首の毛をむしり、包丁をあてた。「いやだ!」「こわい!」。ぐっと力が入れられた。血がドクドクとふきでる。頸動脈を切断された首がブランとなったが、にわとりのからだは最後のをふりしぼってあばれる。その生命力のすごさに身がすくむ。さかさまにつるして血を出す。ドクドクとわきでるまっ赤な血。それでもにわとりはあばれつづけた。
 やがて、おとなしくなった。死んだのだ。じゅうぶん血を出しきったところで、湯のわきたっているなべにさっと入れて、とり出した。とさかも目も黄色く白く変色していた。わたしたちをうらんでいるような目だ。わたしは、呆然と立って凝視している子どもたちや親たちに声をかけた。
 「さあ、みんなで毛をむしって! むしった毛はビニール袋に入れて、散らかさないように」
 いやがる子供や親の心をはねかえすように、事務的な口調でいった。つき動かされた親子は、羽をむしりはじめた。こわごわとむしりとっていく羽の下にみえてくるものは、いつも店頭で目にしているあの鶏肉である。ふたたび中村さんの手によって、もも肉、手羽肉と、料理されていくのをみているうち、わずかずつ子どもたちのからだに変化がみられる。その変化は、やがて、その肉のかたまりが完全にバラされ、小さくなり、いよいよ竹ぐしにさして焼かれるという段階になって、はっきりと出てきた。
 「ぼく、もも肉、ちょうだい!」
 竹ぐしをもって行列ができたのだ。朝早く起き、一時間、電車にゆられ、長い道のりを歩いて多摩川まできた子どもたちである。朝からなにも食べていないし、なにも飲んでいないのだ。そのうえ、稲刈りもしたし、水にはいって遊びもした。かわいそうだと思っていた気持ちより空腹が勝ったのだ。
 まず、何人かの男の子たちが、少しずつ自分の手でにわとりを料理しはじめた。首をひねり、頸動脈を切り、血を出し、湯につけ、毛をむしる。この一連の作業をこわごわと、あるいは、自分をかりたてるようにして進めた。そして、女の子たちも少しずつやるようになった。こうして、多くの手によって二十一羽のにわとりを殺した。しかし、どうにもそれをみたくないといって逃げ、一羽のにわとりを抱いて、泣きつづける女の子たちもいた。その女の子たちを集めて、
 「わたしがいまからにわとりを殺すから、けっして目をそらさずに見ていること!」
 かなりきつい口調で命令した。子どもたちの泣き声をはねのけるようにして、わたしは包丁を手にした。いまのいままで子どもたちの胸に抱かれて生きていたにわとり。そのぬくもりがわたしの心にも痛い。でも、わたしの手はそういう思いを断ち切った。
 これらの肉は、中村さん、新島さん、お母さんたちの手でこまかく料理された。子どもたちは、それを竹のくしにさし、ウィンナ・ソーセージ、ナス、ピーマンなどもさして、バーベキューにし、塩をふりかけて焼いて食べた。口のまわりを黒くし、ガツガツとくらいつき、空腹を満たしていった。
 一方、大きなおかまですいとんをつくった。小麦粉を水でとき、おたまですくって、ぐらぐら者えたつ湯のなかに入れる。野菜、にわとりの肉、しょうゆをいれて煮たてる。竹にさした肉を食べないといっていた何人かの子も、やがて、おわんをもってすいとんのまわりにやってきた。「肉をいれないでね」といって。

(鳥山敏子著『いのちに触れる−生と性と死の授業−』〈1985年刊〉より)
(注)原文の小見出しは省略した。

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