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Homework8

さあ、今週の課題をやってみよう。書いたらmailで送信。
このBASICコースでは時間制限はないので、納得するまで書き直して完成させてみよう。

■次の文章を読んで、感じたことを1,000字以内で書きなさい

 世間では一流といわれている大学へ入った男が、なぜか卒業してからもアルバイトのような簡単な仕事しかせず、あるいは、わざと留年していつまでも学生の身分でいたがる。かれらは言う。「サラリーマンになるために生れてきたんじゃないからね」とか、「十年後、二十年後の先の先まではっきり見てとれるような人生なんて、考えただけでもくだらないじゃないですか」とか、「他人につべこべ言われて、犬みたいに命令に従って生きるなんて真っぴらですよ」とか、あれこれ利いたふうなことを言う。しかしまあ、一理ある。たしかにその通りだ。ただ問題なのは、そうやって自らこの世の平均的、常識的なコースを外れておきながら、時間が経ち齢が増えてゆくにつれて、次第に焦りの色を濃くし、苛立つことだ。これまで通り突っ張った言葉を全く同じ口調で吐いても、迫力に欠け、どこか白々しいのだ。やがて彼らは泣きごとを並べ始める。「いろいろ試してみましたが、結局なにをやっていいのかわからないんですよ」と言い、「これなら全力投球でぶつかってもいいという具体的な目的が見つからないんですよ」と言い、「夢中になれることがどうしてないんでしょうねえ」と言う。

 安定したコースを嫌って、アルバイト人間としてふらふらした一生を送ろうとする者にとやかく言うつもりはない。当人がその生活に満足し、堂々と生き、決して愚痴などこぼさず、不安のかけらもなければ、付き合ってみたい相手ではないが、それはそれで見事なのだ。ところが、残念ながらというか何というか、私はまだそうしたタイプの男に出会ったことがない。よくよく観察すると、かれらは皆外れながら怯えている。人前ではどうにか虚勢を張っているが、しかし、ひとりになった途端にひたひたと押し寄せる孤独の波をかぶって顔をひきつらせ、深いため息をもらすのだ。

 私はかれらに向って次から次へと重い言葉の数々を浴びせる。「一般的なコースをばかばかしいと否定することくらいなら誰にもできるし、アルバイト人間として生きてゆくことだって、そう難しいことではないよ。おれが聞きたいのは、それならおまえはどんなコ−スを歩いているかということだ。どんなコースを歩こうとしているかでもいいから教えてくれ。要するに、おとなになりたくないんじゃないのか。自分の実力を存分に発揮できる仕事が見つからないというのは嘘っぱちだろう。見つからないんじゃなくて、本当は見つけようとしていないんだろう。自分の持てる力がどの程度であるのかすっかりわかってしまい、失敗に対していちいち責任をとらなければならない実社会へ踏み出して行くのが恐ろしいんだろう。記憶力のみに頼ってどうにか保ちつづけてきたエリート意識を、ほかの条件で試されてぶちこわしにされたくないんだろう。だから、いつまでも大学にこだわりつづけるんだろう。大した用事もないのに大学へ顔を出し、まるで実家へ帰った嫁と同じような安堵感を覚えるんだろう。あんたらがこれまで興味を示したことは一体何だ。マスコミなんぞが絵にしやすい、珍しいというだけで取りあげたがる、ふわふわしたお祭り騒ぎのような仕事ばかりだろう。映画作りの手伝いや、マスコミ候補の応援といったことだろう。それも、いつでもさっさと抜けられるような形のうえでのことだろう。そうやって数週間のあいだ夢を見て、すべてが終ったあと『いい勉強になりました』などという月並みな感想をもらし、ふたたび例のいかんともしがたい灰色の日々ヘ戻って行っただけだろう。つまり、次のステップの役には立たなかっただろう。安っぽい思い出が残っただけだろう。早い話がいいように利用されてしまっただけだろう。いい勉強になったのはあんたらじゃなくて、その映画を作ったリーダーと、その選挙に出た侯補者と、かれらの側近のみだろう。それに第一、他人の感動のお裾分けにあずかって喜ぶというケチな丁見は一体何だ。他人の応援よりも、自分自身を応援したらどうなんだ。映画を作りたければ、自分が金を集めてプロデューサーになればいいじゃないか。政治に関心があるのなら、自分が政治家の道を歩めばいいじゃないか。時間をたっぷりかけて、地道な努力を重ねて、幾度か絶望のどん底にたたきこまれてそれでも到達できるかどうかわからないような魅力的なコースをただ眺めているだけではどうしようもないぞ。そのコースを歩いている男をどれほど応援したところで、彼にどんなに近づいて親しくなったところで、その感動はあんたらのものではないんだぞ」

 かれらは押し黙り、顔を伏せ、私は更にまくしたてる。
 「だいたいおかしいじゃないか。しょっちゅう仲間で集まりたがるのは変じゃないか。のべつくっつき合って、どうでもいいことをべちゃくちゃ喋り、他人のやることに評論家みたいなコメントを発し、結局何の答も出せず、しまいには傷のうちにも入らないような傷を甜め合うだけじゃないか。気持ちのわるい連中だよ、まったく。いいかい、普通じゃない生き方をしようと思ったら、普通の連中の数倍も強く生きなくちゃならんのだ。外れただけの価値があるコースをつかまえるには、世間並みの努力じゃとても足りないんだよ。外れることと逃げることは正反対の意味だよ。ひとりで一週間も暮らせないような男が、ひとりで目的を見つけられないような男が、何人集まったところで何もできやしないよ。さほどの苦労もしないで手に入る充実感や感動があると思っているのか。あんたらは、楽をして、いいカッコをしたいだけなんだよ。もともと外れるようなタイプじゃなかったのさ。普通のコースヘ戻るか、さもなければアルバイト人間として居直り、弁解の言葉をごっそり用意して、見ないふりと聞こえないふりをつづけて、ときには死んだふりでもして一生を送ればいいのさ。なに? お説教はたくさんだと。それなら初めから泣きついてくるんじゃない。相談にきたから、おれは答えたまでなんだからな。慰めの言葉がめあてだったのなら、おれのところへなんかくるんじゃない。お袋さんのところか、お袋さんに近い女のところか、不気味な文化人のところへでも行けばよかったのさ」
(丸山健二『安嚢野の強い風』)

 

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