6 「だまされない《議論力》」の使い方? |
長い間更新しなくてごめんなさい。Vous avez raisonの第6回目です。 法科大学院志望の受講者Aさんから、メールが来ました。質問ではありませんが、なかなかおもしろいので載せます。 課題が終わった後、つい先ほどまで、「だまされない<論議力>」を読んでいました。いろんな意味で考えさせられたり、自分の中で絡まった糸がほぐされました。 この本とそれを理解する能力が思春期にあればその頃を楽に過ごす事が出来たはずです。ある部分において優劣が確実にあり、自分が優位にある分野は人によって違う。「みんなちがって、みんないい」は得意分野や背景が各個人にあり、そこから考える事が違うから、話し合いが面白いんだと思っていました。違ってもなあなあでやってけばいいよ!と生ぬるいことを言い出す人に内心イライラしていました。ちがっていい、で、次はどうなるんだ?と。そういうことを言う人に限って、異質性を認めないことが多いですし。しかし、「違和感を持つのはおかしくない!と自信が付きました。今は、不必要に違いを主張することもないですが。 難解で理解しづらいと感じるの文章は自分の力が不足しているから、と思っていました。著名な方ならまともな文を書くだろうと私も思い込み、間接的に権威主義を支えていたのです。文章の中身にも問題があり、その不明瞭さを先生が文中で明快に斬り、気分爽快でした。同時に自分自身で問題を指摘できるような実力をつける必要性もひしひしと感じました。 本当に頭の良い人は、相手の知識、理解レベルに合わせて表現をするものだ、と高校時代の倫理教師が言ってました。この本では、まさにそれを体現できました。 私も本当に頭の良い人に少しでも近づけるように多少なり意識して人と話すようにしています。実現はしきれていませんが。きっと自分が分かる=相手も分かるという甘えがあるのでしょう。ここが私の小論文でも弱点になり、前回の分析、説明不足の指摘に繋がっています。 逆に、この本で挙げた悪い例を使えば、自分に知識がなくとも知ったかぶりをして、実は何も知らない頭の悪い相手を煙に巻くのにも使えますね・・・フフフ。そういうのは大嫌いなので、極力やりませんが…。 |
Aさん 丁寧なご感想ありがとうございました。たしかに、日本の言論では一度発言できる地位についた人は、どんなレベルの低いことでも実証性のないことを言っても、許容されるという状況があります。本当ならば、その発言に価値があるかどうか、メディア側でチェックできなければならないのですが、なかなかそうはいかない。 しかし、これは言論の受容者側にも責任があります。言っていることが何だかおかしくても、どこが悪いかわからないと、結局「大衆の支持があるから」ということで、メディア側も大衆の趣味に合わせてしまう。結局、トンデモ言説が淘汰されないままに残ってしまうという結果になります。 この頃の「脳ブーム」などもちょっとそんな感じがあるかもしれませんね。言説の質を見分けるための方法を持たないと、あれこれ時代のキーワードを作り出そうと必死なメディア側の戦略にのせられるままになります。拙著がそういう状況を交通整理するための手がかりになればいいと思うのですが…。これからも頑張りたいですね。 |