4 型を意識すると最後まで書けません。

 Vous avez raisonの第4回目です。「型を意識すると最後まで書けない」は、多くの人が言いますが、せっぱ詰まった気持ちが感じられますね。この問題に吉岡が答えます。



 こんにちは。先生の「なるほど小論文講義10」を読んで勉強している高校生です。なるほど、構成の仕方をこうすればいいのだなー、とは納得はしたのですが、自分でやってみると途中で止まってしまい、最後まで書ききることができません。学校の先生に相談してみると、お前はまだそんな段階じゃないよ。好きに書いた方がいいよ、構成に従って書けなきゃ仕方がないよ、と言われました。そんなわけで、この前の模試では好きなように書いてみました。そしたら、とりあえず最後まで行って「よかったー!」と思ったのですが、答案が返ってきたらひどい点数でした。私はどうしたらいいんでしょうか? (悩める受験生)



質問への回答です。

Dear 悩める受験生さん

 小論文は、最後まで書かなければ点数が引かれるのは当然のことです。だから、完成が第一。でも、完成するというのは、たんに最低条件を満たすだけです。それだけで評価が上がるわけではありません。その程度でウロウロしていたら、いつまでたっても点数は上がりません。

 私は「なるほど小論文講義10」で、答案の構成のことを詳しく書きました。そしたら、「たしかにその通りだと思うけど、その方式に従ったら、生徒は難しすぎて書けなくなる」とおっしゃる先生がたくさん出てきた。確かにそういう面があることは否定しません。じゃあ、構成なんか関係なく、自由に書けばいいのか? そうは行かないのです。

 計算力がないので、数学の設問に答えきれない。じゃあ、何でも良いからとにかく答えを書けばいいのか? たしかにそうすれば、とりあえず時間内に答えは出ます。でも、それで点数が上がるでしょうか? 上がりっこありませんよね。それと同じなのです。小論文が数学と同じ訳はないって? じゃあ、聞くけど、どこが違うのですか? 正しいやり方をしないと、点数がとれないのは数学も小論文も同じではないのですか? 

 私は、「なるほど小論文」の方法が絶対とは言いません。しかし、あそこで書いたようなことは、論文を書く上での前提です。習得した上で、そこから離れるのは問題ないのですが、まずはパターンを習得せねばなりません。書けないからと言って、そこから逃げるのは気休めになるだけです。最初は苦しくとも、そのパターンに当てはめて書く練習をすることが大切です。そこで、論文の色々な要素と気を付けるべきポイントが分かってきて。ようやくそこから離れて自由に書くことができる。

 私はシカゴ大学で最初に論文の書き方を習ったときのことを忘れません。担当教授は、「これから1年間、君たちをシカゴ方式の鋳型に入れる」と宣言したのです。鋳型に入れる=Mouldという言葉を使った。怖いですねー。一瞬、私は「鉄の処女」みたいな拷問用具を思い出してしまいました。人間が鋳型にはめられて、シカゴ人間という見分けがつかない「もの」になる。「自由の国」アメリカにもこういうことがあるのか、と思いました。

 しかし、そうではないのです。形式が一緒だからこそ、そこに違った内容を盛ることができるのです。短歌や俳句も同じでしょう? 五七五とか五七五七七とか言う「定型」があるから、そこに全く違った内容が盛り込め、かつそこで優劣を比較できるわけです。論文は、けっして自己表現ではありません。自分のメッセージを伝える効率のよい乗り物なのです。そのために、定型パターンがあり、それを身につける必要があるわけ。

 もちろん、そこに盛られる内容は千差万別です。内容自体の優劣もある。しかし、それも同じ容器に盛られているから、こちらの方がいいな、と分かる。ボクシングで公平に世界一を決められても、相撲とプロレス、ボクシングでどれが強いのか、を言っても決まらない。それと同じです。

 構成を学ぶには、ワープロソフトで書くことを勧めます。あれこれと実際に順序を変えてみなければ、構成はどれが良いのか分かりません。ワープロだと、すぐコピーアンドペーストが出来る。これが良いのです。手書きだとそのたびごとに消しては書き直す。膨大に手間がかかりますし、仕上がりも汚くて、うまく行ったかどうか書いても自分で判断できません。

 手書きや制限時間の練習など、後でやっても十分間に合うのですから、まずは構成と論理の問題に集中すべきです。コンピュータを使えるのなら、それを使って、あれこれ順序を書き直す訓練をしましょう。実際の試験では手書きだから、と言って、コンピュータを使わないのは、枝葉末節に囚われて、大きな流れが見えていない証拠ですよ。