2 なぜ、小論文に「起承転結」を使ってはいけないの? |
Vous avez raisonの第2回目は、吉岡が講演に行った高校の先生からの質問です。丁寧に聞いていただいてありがとうございます! 確かに「起承転結」については、みなさんが誤解しやすいポイントなので取り上げてみました。吉岡が応えます。 A高校の教員Tと申します。大変分かりやすいお話と刺激的な内容で、久しぶりに面白い講演でした。どうもありがとうございました。とくに要約の仕方については、明確な基準を示してくださってありがとうございます。おかげで、これから添削はずっと楽になり、夜遅くまで赤を入れて、睡眠時間が削られることはなくなりそうで、大変うれしいです(笑)。 ところで、お話で一つ疑問があります。先生は「小論文の構成は起承転結ではなくて、問題・解決・根拠だ」とおっしゃっていましたが、その例に挙げた「原発の是非」の問題で、「この問題は、自分が原発に賛成にしろ反対にしろ、反対論が予想されるから、問題・解決・根拠の後に反対論の予想をして、これを批判すればよい」とおっしゃいました。しかし、そうなると問題・解決を起、根拠を承、反対論の予想を転、批判を結と考えれば、やはり起承転結の構成になるかと思うのですが、いかがなものでしょうか? |
質問への回答です。 Tさん、私の講演を楽しんでいただけたようで、うれしいです。一生懸命聞いていただけることは、講演する側から言っても、大変楽しいことです。こちらこそ、どうもありがとうございました。 ところで、ご質問の内容ですが、たしかに、そのように考えれば起承転結と見なすことは可能です。そもそも、この起承転結という見方がずっと行われてきたのは、それなりに汎用性があったためであり、かなりの文章が起承転結で整理できるという事情があったためです。だから、当然、問題・解決・根拠・反対論の予想・批判を起承転結と見なすこともできないわけではありません。 しかし、そのように見えたからと言って、起承転結の形式は小論文を書くのに何の役にも立ちません。なぜなら、起承転結とは文章のムードを外側から表しただけで、その部分でどんな内容をめざして書くべきかという指針を示していないからです。つまり、実際の作業に役立たないのです。この形式は、もともと漢詩の構造から言われたものです。つまり、詩想をおもむろに立ち上げ、それを発展させたところで趣を変え、最後に持っていくといういわば情緒の組織化の技法なのです。 そういえば、能楽でも「序破急」という構造が言われるのはご存じですよね。初めは緩やかに舞い始め、中程では様々に発展させ、最後は急速なリズムにまとめて舞いおさめる。アリストテレスも、ギリシア悲劇の構造を「始めあり、中あり、終わりある」と『詩学』の中で言っています。事件が始まって、それが徐々に高まってクライマックスにいたり、急転直下解決する、ということらしい。でも、「序破急」や「始めあり、中あり、終わりある」を文章のお手本とは誰も言いませんよね。そもそも能楽・ギリシア悲劇と文章はジャンルが違うものなのに、同じ組織原理が成り立つはずがないからです。 同様に、漢詩の技法も、論理的文章にそのまま適用するのは間違っています。詩は情緒を表現するものなのに、小論文=意見文は主張を述べるものだからです。文章の目的がまったく違うのだから、その組織・構成の原理が違うのは当然でしょう。しかも、小論文=意見文で大事なのは、論理とデータであり、ムードを盛り上げたりまとめたりすることではありません。起承転結というと、つい内容よりもムードをどう制御するか、に注意が向いてしまいます。ハンドルを切るべきなのに、パワーウィンドウの操作ををするようなもので、うまく車を走らせられるわけがないのです。その意味でも、起承転結という方法は、小論文から完全に追放した方がよいのです。 英語の文の書き手に起承転結の話をすると、「なんで転が必要なのか? 一貫性がなくなるじゃないか」と言います。彼らはきっとアリストテレス流に始めあり、中あり、終わりあり」と文章を感じているのかもしれませんね。でも、論文の書き方は、世界共通です。文化とは関係なく、問題に対して自分なりの解決を出し、それを論理とデータで説得する、という普遍的な形式を取るわけですね。この組織原理を理解するのが、小論文の第一歩なのです。 起承転結の問題点はいろいろ言われているのですが、まだまだ誤解している人が多いようですね。こういう「神話」は他にもあります。A新聞のコラムを手本にしろだとか、その要約を毎日すれば力が付く、とか。 |