シニアのロースクール日記(6)2005年4月

4月1日(金) いよいよ始まる学生生活

 入学式の日を迎えた。3月の寒さのせいで、桜の開花宣言は出されず構内の桜も蕾がようやく開き始めた程度である。式場の中央講堂に入ると、殆どの学生は普段と異なりスーツに身を包んでいる。目の不自由な人は体に障害のある人も出席している。式は大学院全体の合同で行われた。10時30分に賛美歌とともに始まった。学院長は「昔の大学院生は、先生の真似をして先生を超えないことが良いこととされた。しかし、これからは先生を超えることを目指すように」との訓示があった。公認会計士を養成する専門職大学院が今年開設されたので、入学者総数は約620名になったそうだ。ロースクールには127名(既修62名、未修65名)が入学した。
 既修クラスに入学した社会人経験者のFさんと、学生食堂で狸うどんを食べながらお互い自己紹介した。 
 入学式というのに、大学に入学した時のような喜びが出てこない。大学の時は、入学という目標を達成し4年間何とか学生生活を過ごせば就職には困らないとの安心感があったためかもしれない。今回はいよいよ努力の始まりであるという現実があるためかもしれない。

4月4日(月) 新入生代表で挨拶

 夕方、先生を囲んでの懇親会があるというのでネクタイ着用で登校した。構内を歩いていると、先生と間違えたのか挨拶をしてくれる人がいた。
 午後の授業科目の説明に続いて、先生方を囲んでの懇親会が関学会館行われた。新入生を代表して、スピーチをするように求められた。エピソードなどを交え、次のようなスピーチをした。

 ネクタイをしているがProfessorではなく、I am a studentです。
 新入生代表として挨拶するのは、通常入学試験の成績がトップの人のはずです。自分はそれに該当しません。指名された理由を考えました。今年の入学者のなかでは、二つの「最も」が付くこと点で、ユニークであることが注目されたものと思います。
 一つ目の「最も」は「年齢が最も高い」ことです。太平洋戦争開戦の日より数ヶ月前に生まれました。もう一つの「最も」は「適性試験の成績が最も低かったのではないか」ということです。
 適性試験の不成績は英語で挽回しました。英語の力をつけることができたのは、これまでの職業を通じてです。40年前に大学を卒業し、製造会社に就職しました。入社当時は関学近くの独身寮に住んでいました。会社生活の半分近くを国際関係の仕事に従事し、合弁会社の設立やその立上げに取り組んできました。アメリカとドイツでの駐在経験を通じて、英語の能力を磨いたのです。この駐在経験を通じて多くの人と知り合いになり、今でも世話になったアメリカとドイツの弁護士と交際を続けています。
 入学に際し関学にお願いしたいことは、年齢のことは気にせずに厳しく指導して欲しいということです。始まる前にシニア世代の者4名が集まり、喫茶店で過ごしました。その中の1人が、「シニアには手加減して」という趣旨の挨拶をしてはどうかといいましたが、その必要はありません。
 若い世代の学生の皆さんには、お互い仲良く助け合って実力を身につけることを呼びかけたい。昨日、大学時代の関西在住者が集まり、大阪城で花見をしました。参加者の中に大学で「ヨーロッパ文化論」を教えている人がいます。彼が言うには、われわれの時代にはノートの貸し借りをして助け合ったが、今の学生は学生同士のコミュニケーションがなく、助け合うことをしないそうです。これからお互い助け合って、仲良くなり40年後同窓会をするときは、是非声をかけて欲しい。
 最後に好きな言葉を言って締めくくります。「かたつむり、ゆっくり登ろう、不二の山」

 このスピーチのお陰で、多くの人と話すことができた。そのなかの1人に実務家教員のI弁護士がいた。彼は、私が世話になったデトロイトの法律事務所で実習をしていたという。昨年、お互いに知っているカミング弁護士が来日されたとのことであった。次回来日される時は是非教えて欲しいと依頼した。またミシガン大学出身のブラウン先生と久しぶりに英語を使っての会話ができた。

4月8日(金) 授業始まる

 今日から授業が始まる。未修クラスは約30名ずつ二クラスに分かれての授業である。名前の五十音順で分けられ、後半の二組になった。最初の授業は刑法と民法である。刑法の時間では、約1時間パソコンを用いた判例検索などの説明を受けた。先日のスピーチのせいか、隣に座った男子学生がパソコン操作を助けてくれた。残りの30分で刑法の学習の仕方の説明だったが、内容はガイダンスでの説明の繰り返しだ。
 民法4は不法行為法である。いきなり民法を不法行為から入るのは、予備知識がなければ付いていくのは難しいのではないかと思った。授業はソクラテスメソッドで進められた。学生は全員緊張している。私語一つ聞こえない。机上に飲物を出しているものもいない。
 最初に指名された女子学生は「自損とはなにか」との質問をうけた。自動車保険に入っていれば、容易に説明できるが、苦労して答えていた。私は、4人目に質問をうけた。先生の質問は、「歴史的には結果責任から、過失責任へ代わってきたが、その理由は何か」であった。事前に予習をしていたので、それほどつまらないで応えることができた。「予期しないことが発生した場合、その結果の責任を問うとすれば企業の自由な活動を抑制し、投資意欲を萎縮させるからだ。従って過失があるときに限定して責任を問う」という考えが生まれた。次の人は中間責任の意味を問われた。
 自分であればどのように答えるかを考えながら、他人の解答を聞いた。90分間緊張の連続で久しぶりに充実感と疲労感を味わった。帰宅して、その日の授業内容をパソコンに打ち込んだ。

4月15日(金) 

 授業が始まって1週間が経過した。憲法?(統治機構)では、レポート提出が求められた。テーマは「日本国憲法の構成を章別に筋道立てて説明せよ」というものである。4月25日までに、A4で1枚という宿題だ。2日間で書き上げ、電子メールで提出した。「内容はこれで結構」というコメントが返ってきた。

 英米法総論の講義はユニークである。先生は、司法試験の科目でない英米法を学ぶ意義について説明された。要約するとポイントは2つである。
 先ず、日本の法律とは異なる発想で物事を考え、思考のトレーニングをすることができる。考えることは有意義なことだ。ミシガン大学に留学して学んだことは「Judgeしてはいけない。それは裁判官の仕事である。ロースクールはLegal Trainingする場だ」ということを強調され、したいことを見つける3年間にして欲しい。Legal Trainingでは論理と根拠を考えるプロセスだ。根拠は誰も考える。より重要なのは論理で説得すること、表現力を学ぶこと。従って常識、価値観が重要となる。そのためには概念を正しく理解し、かってな解釈をしてはいけない。
 もう一つは、アメリカの動向は日本に影響を及ぼす。特にビジネス法、環境法、刑事訴訟法の分野で影響が多い。最近のライブドアに日本放送に対す仮処分申請に対する裁判所の判断はデラウェア州の影響を受けている。

 1週間での感想は意外に学生の質問が少ないことだ。未修者だから疑問が少なからずあるはずだ。疑問は残さないで、授業中に質問することにした。例えば、憲法では、イギリスには成文の憲法がないというが、ブレア首相の行った議会解散はどのような法的根拠に基づくのか、という質問をした。刑法では、アメリカもイギリスと同様に判例法の国であるとの説明を受けてきたが、一方罪刑法定主義という考えがある。アメリカには刑法はないのか。これに対しては、各州に刑法があるということだ。
 それにしても、授業中には質問しないけれど、終了後教壇の周りに集まって先生に質問する。日本人の習性で、人の前で質問するのは恥ずかしいという意識が働くようだ。しかし、情報は共有すべきではないか。他の人の疑問点を知ることは、それ自身勉強になる。事務室に、こうした学生の姿勢を早期に是正する措置を講ずるよう求めると共に、先生にも学生の指導のあり方の改善を求めた。

4月25日(月) もっと緊張感を

 先週の民法の時間でアンケートがとられ、その内容が紹介された。アンケートの趣旨は一部の学生から「民法がよく分からない」という声が先生に届いたので、その実情を把握しようとするものであった。大半は、判例の読み方や用語の理解の仕方など勉強の仕方についての積極的な質問であった。
 しかし、なかには「授業中、あてないで欲しい」とか「ソクラテスメソッドをやめて講義形式にして欲しい」といった随分甘えた要望もあった。英米法の時間で「ハーバード・ロースクール」という映画のVideoの冒頭部分を見た。そのVideoによると、いきなり1時間目から判例を読み、その事件の概要を説明することから始まった。指名された学生の声が小さいので、教授から怒声が飛んだ。ピリピリしている雰囲気が伝わる。
 これに比べると緊張感に欠けるし、先生が教室に入られてもお喋りをやめない学生がいる。その言葉たるや「マジでー−」「ホンマにー」など意味のない言葉の連続で、これが法曹を目指す人の言葉使いかと思うとがっかりする。
 近くのJR福知山線で脱線事故があり、多数の犠牲者が出た。帰宅してテレビを見ると、JR西日本の社長がお詫びの記者会見をしている。彼は、お詫びの文を読み上げている。おそらく部下が作ったメモを読み上げているのだろう。心からお詫びをするのであれば、自分の言葉で述べなければならない。上が自ら動かない、部下のお膳立てでしか動けない体質こそが事故の原因ではないかと思う。

4月28日(木) アメリカの判例を読む

 先週木曜から始まった自主授業の英語クラスに出席した。単位にはならないが、10名の学生が出席している。テキストに使われたテーマは、「コレマツ事件」である。これは「日系アメリカ人事件」といわれる中のひとつだ。1942年日系人に対する強制収用の合憲性が争われた。この判決では、人種差別による強制収用は人権規定に反するが、戦時だからという理由で合憲判決が下された。ただ、アメリカの良心を感じたのは3人の裁判官が反対意見を述べている。その後、1980年代に入ってから、コレマツさんの有罪判決が取り消され、日系人に補償金が支払われた。
 先生はミシガン大学出身で女性のブラウン先生である。授業は学生に判決文を読ませ、内容を理解できるよう解説を加えられる。非常にリベラルな方で、いまアメリカで60年前と同じことが繰り返されているという。キューバにあるグアンタナモ基地で、アルカイダ系の人物を法律の根拠なく拘束している。連邦最高裁はこれまで3回もの違憲判決をしているが、事態は改善していない。
 英語の授業の後、中央図書館に立ち寄った。ゼミで「報道の自由と人権」を報告することになり、「隣人訴訟」をめぐって、当時の新聞がどのような報道をしたかを調べるためだ。事件が起こったのは、1977年(昭和52年)三重県の新興団地である。買い物に行く主婦が子供を隣人に預けたが、目を話した隙に子供が池で溺れ死んだ。不法行為と準委任契約違反があるとして、損害賠償請求を求めた。1983年(昭和58年)2月25日、津地裁は原告の主張を一部認め、損害賠償を隣人に命じた。これが報道されると、全国から原告に非難中傷が浴びせられ、3月7日に訴えを取り下げた。一体どのような報道がなされたのか興味があった。ところが朝日新聞の縮刷版を見る限り、事実を客観的に伝えているだけで感情的な表現はなく、全国の読者を扇動するような感情的表現は見当たらない。連休中に国会図書館関西館で他のメディアの報道を調べることにする。
 夜、西宮北口の居酒屋で、職場の休職許可が得られず休学した人を囲んで50歳以上の者5人が集まった。この人は兵庫県内の市役所に勤務しているが、ようやく許可が取れ、来春復学することになった。社会人にとっては、超えなければならないハードルである。

 4月30日(土) リズムをつかむ

 朝体重をはかると70kgである。4月1日の体重が72kgだったので、2kg減ったことになる。目標は68kgである。
 一ヶ月が過ぎ、勉強の仕方のリズムがつかめてきた。土曜日と日曜日に翌週の月曜から水曜までの予習、一時間しかない水曜日に木曜、金曜分の予習をする。平日は当日分の復習と、翌日分の簡単な予習をする。
 民法は特に予習に重点を置き、単に教科書を読むだけでなく、重要ポイントはパソコンで入力する。その場合、全体構造が把握できるように表にする。例えば、制限能力者の行為と保護者の権限はマトリックスにすれば違いが見えてくる。さらに関連判例を読み、論理展開の仕方をまとめておけば、予習はまず問題ない。
 復習は、予習で不足している部分を追記することによってより理解が深まる。

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