シニアのロースクール日記(5)2005年3月

3月8日(火) こういうことだったのか「ゆとり教育」

 1992年に米国デトロイトに赴任した直後、合弁会社のパートナーの本社がある英国バーミンガムに出張することになった。秘書に航空券の予約を頼んだところ、怪訝な顔つきで「どうして自動車で行かないの」といった。発音が悪くて真意が通じていないのかと思ったが、しばらくして謎が解けた。デトロイトの郊外にバーミンガムという町があるのだ。イギリス風の名に相応しく、ビクトリア朝の風情が漂うホテルもあり、ウェイトレスは白いエプロン姿である。通りの両側には小さな店が並び、歩いて買い物を楽しめる落着いた町だ。彼女にとっては、バーミンガムは身近にある町しか存在しない。ところが、自分はバーミンガムが英国の主要な工業都市であり、イギリス以外にはないと思い込んでいた。これは世界中の誰もが学校で習い知っている常識だと、その時まで思っていた。

 その後、また耳を疑うような質問を受けた。独立記念日(Independence Day)を前にして、彼女は「日本でも7月4日には、花火を打ち上げるのか」と聞く。アメリカの学校は、生徒に毎日国歌を斉唱させているにも拘わらず、独立記念日の意義すら教えていないのかと疑問に思った。

 この秘書のエピソードを大学や高校のクラス会で話すと、多くの旧友はアメリカ人の自国中心の地理感覚や歴史感覚を最近の単独行動主義と結びつけて、さもありなんと納得する。また日本政府の対米一辺倒を、アメリカ人が皮肉って日本を51番目の州とみなしているのではないかと冗談めいた解釈をした人もいる。

 中学、高校時代の地理といえば、都市の名前と特徴を組み合わせて覚えることが中心であった。たとえば、今は豊田市になっているが、挙母(ころも)=自動車の町のように覚えた。世界地理でも、今は廃れて「錆の町」と揶揄されるピッツバーグは鉄鋼業、マンチェスターは毛織物工業、産業革命発祥の地という具合だ。もちろん世界の主要国の首都は地図上の配置と共に殆ど覚えたものだ。

 ある日、オハイオ州のシンシナティにある合弁会社の社長宅に夕食に招待された。その時、「エリー湖畔にあるクリーブランドは機械工業の都市であると、学校で習った」と知識を披瀝した。病院でパートの看護婦として働く奥さんに「アメリカ人でさえ知らないことをよく知っているのね」と感心されたことがある。

 この地理感覚や歴史感覚のなさ、自国中心主義はアメリカだけのことだと思っていた。ところが、そうではない。最近、高校生用の社会科教科書副読本に「アメリカ社会の公平と公正」というテーマで執筆する機会が与えられ、参考にと教科書が送られてきた。帝国書院の「新詳地理B」のヨーロッパのところを見ると、グレートブリテン島の地図にはロンドンとバーミンガムの二つの都市だけが出ている。しかし、ロンドンが首都で金融の中心とか、バーミンガムが工業都市であるとかの記述は一切ない。これが「ゆとり教育」の教科書なのだと納得する反面、このような手抜き教育が生徒にとってよいことかと疑問に思った。この簡便教科書で勉強すると、やがて日本人もアメリカ人秘書のような地理感覚のない人間ができるのではないかと危惧する。若い時は詰め込みであっても吸い取り紙のように頭に入るし、忘れることはないのだ。もっと教育関係者は自信を持って欲しいと思う。

 それにしても今の教科書はカラフルで、まるで旅行ガイドブックのようだ。もっともこの教科書の構成は、昔のように地域別の記述ではなく、テーマ別になっている。第1部「自然と生活」、第2部「世界の諸地域」、第3部「グローバル化する現代世界」、に続いて第4部「地球的な課題」が取り上げられている。その内容は、人工・食糧問題、都市・居住問題、環境・エネルギー問題、民族・領土問題だ。現代社会の抱える問題を考えさせようという意図のようだ。ロースクールの小論文に出題されそうなテーマで教科書が作られている。

 午後、天気もよくポカポカ陽気になってきたので、久しぶりに六甲山へドライブ。山の北斜面には、先週の雪がまだ残る。六甲山ホテルのカフェ・レストランでコーヒーとケーキを注文。眼下に神戸港が開ける。来年開港予定の神戸空港の埋め立て工事も終わり、大陸からの黄砂と花粉のせいか、霞のかかった海に浮かんでいる。 

3月19日(土)~20日(日) 正義は教えられるか

       関西学院国際シンポジウムに参加して
 大阪中ノ島の国際会議場で関学ロースクール主催の国際シンポジウムが開催され、出席した。スタンフォード大学、カーネギー財団など英米でロースクールの教育に携わる先生が招かれている。基調講演に続いて、パネルディスカッションが行われた。中心のテーマは「正義は教えられるか」である。シンポジウムの目的は、ロースクールが学生に対して「正義」や「倫理」をどのようにして教えるかを考えようとすることにある。教えられる立場から、この問題を勉強しようと思い二日間とも参加した。

 パネリストで日弁連元会長の本林徹さんは、法曹としての職業倫理の原点が学生時代のセツルメント活動にあったと話された。またスタンフォード大学のパネリストの先生は、破綻したエンロンの経営者や不正に手を貸した会計事務所の事例は、倫理観の欠如にあることを指摘し、「正義」や「倫理」の教育の重要性を強調された。

 しかし、このような「人として正しいことをする」「うそをついてはいけない」「弱者や少数者の立場の立つ」というような意味での「正義」や「倫理」を、ロースクールで身につけることができるか疑問だ。教科書や講義で、その概念の説明を受けても身につくとも思えない。たとえば、ゴルフの本を読んでもゴルフはできない。「小論文の書き方」の本を読んでも小論文が書けるわけではない。いずれの場合も実技訓練をすることによって身に付く。「正義」や「倫理」を体で覚えるには、模擬裁判とか法律事務所での体験実習などを通じて行うのが効率的だと思う。そして、それぞれの個人がこれまでの人生で遭遇した体験や蓄積した教養で肉付けをすることが大切であると思う。

 法曹を志すものにとって、「正義」や「倫理」を兼ね備えることが重要な資質であれば、入学試験の方法を見直すべきだと思う。2月26日付け日経新聞の記事によると、「新司法試験の出題科目以外は授業中、耳栓をして自習」する学生がいて、すでに学級崩壊が起こっているという。「正義、倫理」以前の問題である。現状の適性試験では、この種の受験一辺倒の学生を見つけて、ふるい落とす仕組みになっていない。逆に高得点を取る可能性が高い。各ロースクールが篩にかける仕組みを工夫する必要があると思う。

 二日目の午前11時前、とつぜん船に乗っているような眩暈を覚えた。他の参加者もそわそわし始めた。天井が揺れている。司会者から、「只今福岡県玄界灘を震源地とするマグニチュード7の地震が発生した」とのアナウンス。大阪の震度は2であったが、免震構造になっている高層ビルの最上階にある会場は、振り子のように長い時間ゆっくりとゆれ続けた。


3月20日(日)夕方 人生には第一も第二もない

卒業45周年高校同窓会に出席して

 シンポジウムを終え、阪急、京都地下鉄、京阪を乗り継いで大津に向かう。卒業した高校の45周年同窓会に出席するためだ。30周年以来の出席で、15年ぶりである。会場は琵琶湖畔のホテル。残雪を抱いた比良の山々が湖に映える景色を見ると、気持ちが和む。

 アメリカのサンフランシスコを始め、東は千葉、西は大分から駆けつけ、約180名が出席した。大学のクラス会というと、殆どがサラリーマンで金融、報道、製造会社の勤めていたか大学教師に限られる。しかし高校の場合は、ずっとバラエティに富む。医師あり、芸術家あり、自営業あり、県の役人あり、建築士あり、お坊さんありである。自分が知らない世界の話を聞くことができる。

 国語の担任で、その後校長をされた先生が味わい深い挨拶をされた。先生のおっしゃるには「皆さんは既に還暦を過ぎ、これからはいよいよ第二の人生と考えている人もいるでしょう。でも、人生には第一も第二もありません。一つの人生として有意義に過ごしましょう。」たしかに、第二の人生という言葉からは付け足しのようなニュアンスがある。「今まで第一の人生は、一生懸命働いてきた。これからは第二の人生として、のんびりと悠々自適に過ごしたい」というふうに解釈できなくもない。しかし、その途端に社会から切り離される。先生はいつまでも先生だ。良い指針を与えてくれる。

 45年の歳月は、「人見知り」を解消してくれる。高校時代は、大学受験のことしか頭になかったせいか、心を開いて話の出きる友人は5本の指にも満たなかった。ところが、同窓会は一度も口を利いたことのなかった人とも会話が出きる雰囲気がある。サンフランシスコから来た女性と、アメリカでの英語体験を話した。高校で習った英語と、実際の意味が違うことの経験だ。たとえば、高校では、相手に助言する場合には、婉曲表現として「You had betterノノノ..」を使うように教え、「した方がよい」と訳す。仕事の場面で、この表現を使ったことがある。相手は顔に不快感を表した。その後、自分は使わないようにしているが、日本からの出張者は便利にこの表現を使う。そのたびに冷や汗を書く思いがした。日系の銀行に勤めていた彼女も同じような経験をしたことがあるという。この表現は、親が子供に命令をするときに使う言葉だ。彼女によると、文章の始めに「 I think」をつけると、相手の感情を害することが少ないという。

 二次会も終わりJR大津駅の下りホームで電車を待っていると、同じホテルの袋を持っている人が傍へ来て「同窓会に参加した人ですか」と尋ねる。行き先は同じ西宮だ。1年生の時にクラスが同じであったW君であることを思い出した。車中約1時間、W君のこれまでのプラント工事会社での苦労話を聞きながら一緒に帰った。再会を約して分かれた。

四方山話:街角の間違い英語

 谷崎潤一郎の「細雪」の舞台になった夙川(しゅくがわ)界隈には、ブティックやレストランが多い。お洒落感を出すためか店の看板や案内には、英語がよく使われる。ところが間違いが多い。なかでも一番多い誤りは「閉店」を表すのに、「CLOSE」を使うことだ。「CLOSED」と過去分詞にしなければならない。「営業中」が「OPEN」なので、その対語は「CLOSE」だと思ってしまうらしい。しかし、この場合の「OPEN」は動詞でなく形容詞だ。「CLOSE」も形容詞の使い方があるが、閉店の意味はない。後にtoをつけて「近く」を意味することが多い。実に半分くらいの店が、この間違いを犯している。

 次に多い間違いは単数と複数の使い方である。トイレの表記である。ロースクールの説明会が行われた大阪大学のコンベンションセンターの男性用トイレは「Gentleman」と単数だ。念のため女性用はと見ると、こちらは正しく「Ladies」と複数になっていた。事務室に誤りを指摘する手紙を送ったが、返答はなかった。通常、トイレの表記は英語圏だけでなく、ドイツなどでも「Herren」「Damen」のように複数で表示される。複数の人が利用することを想定しているからのようだ。

 単数と複数の使い方の混乱は他でも見られる。最近、開設された産婦人科医院に併設された小児科は「Child Clinic」と診療科目案内に書いている。専門用語の「Pediatrics」としたのでは、何のことかわからないから、誰にでもわかり易い単語を並べたのだと思う。しかし、患者は一人ではないのだから、やはり複数で「Childrenユs Clinic」か「Childrenユs Hospital」にすべきだ。産婦人科を「Ladies and Maternity Clinic」と複数で表しているのだから、統一した方が良い。

 スペルミスも意外に多い。「FASHION & JEWELLEEY」と書いた宝石、貴金属の店がある。大津プリンスホテルのクロークの預かりカードには、「ご用の節はStuffにお申し付けください」とある。プリンスホテルは西武系列である。有価証券報告書虚偽記載やインサイダー取引で起訴された会社トップの考えを反映してか、従業員を「物」とみなしているようで、思わず苦笑した。洋品店の広告で「London、Paris、Mirano」とならべ、なぜかMilano(ミラノ)だけがローマ字式になっている。
 観察しながら、街を歩くのは結構楽しいものだ。

3月31日(木) 入学式前日

 思わぬ寒さで遅れていた夙川堤の桜の蕾もようやく開き始めた。いよいよ明日は入学式である。妻が紋付を着て一緒に出席したいといっていたが、10日ほど前に階段で足を踏み外し捻挫、痛みがとれず断念することになった。久しぶりにネクタイを締めて式に望むつもりだ。

 ガイダンスで事前学習しておくようにと言われた教科書、参考書は殆ど読むことができた。指定書籍ではないが、伊藤眞「法律学への誘い」(有斐閣)は、これからの勉強の仕方を考えるうえで参考になった。また河上正二「民法学入門」(日本評論社)は、判例から民法の基本を理解させてくれた。法律書ではないが、網野善彦「東と西の語る日本の歴史」(講談社学術文庫)によって、日本人は農耕民族という固定観念を改めることができた。縄文時代は、東国が狩猟の民で、西国が農耕の民であったという。堀米庸三、木村尚三郎編「西欧精神の探求」(NHKライブラリー)は、西洋の中世は暗黒時代であったという理解は誤解であることを指摘し、12世紀がヨーロッパ最初の精神的自覚の時代であることを教えてくれた。

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