シニアのロースクール日記 (38)2008年1月
1月11日(金) 原則と例外、最終授業にて
2005年4月に入学して、あっという間に3年間が過ぎた。今日は、3年生としての最終授業、N先生の憲法の特別演習に臨んだ。受講生はわずか7名で、和やかな雰囲気で進められる。いつも先生の奥さんの手作りのケーキが出されるのが楽しみである。クリスマス前には、ドイツ滞在中に習われたクリスマスケーキを味わうことができた。
今日のテーマは、塩見訴訟である。この事例は、日本で出生して失明した韓国人女性が日本人男性と結婚後、帰化して旧国民年金法の障害福祉年金を申請したところ、廃疾認定日に日本国民であるという要件を満たしていないとして却下されたものである。最高裁は、社会保障政策について、広範な立法裁量を認め、自国民を在留外国人より優先的に取り扱うことも許されるとした。
社会保障政策に関連して、話題が薬害肝炎訴訟に及んだ。患者が一律救済を求めたのに対して、政府がようやく議員立法で対応することが報じられていた。総理大臣が議員立法で対応するとの決断をしたのに対して、野党党首が患者の救済をしなかったのは政府の責任であることを理由に反対し、政府提案とすべきであると主張していた。
そこで、N先生に野党党首の発言の当否について疑問を投げかけた。そもそも、国会に立法権があるのに、野党党首が反対するのは、立法権の放棄ではないか。先生いわく、鋭い指摘であると。しかし、現実は、法律案の90%が内閣提案になっている。内閣提案の法案は、内閣法制局が提案前に精査する。問題のある法律は、政府が責任を逃れるために、議員立法という形態がとられるとの説明であった。
たしかに、憲法72条には、内閣総理大臣に議案提出権があると規定されている。立法権の中心は、審議と議決にあると考えれば、野党党首の発言も間違いではないが、法案提出も含めた一連の行為を行ってこそ、立法権を行使したと考えることもできる。
現在国会で行われていることは、原則と例外が逆転しているように思った。この授業では、原則と例外について学ぶことが多かった。N先生は、常に原則は何かをまず考えよといわれた。強調されたのは、平等に関してであった。先生によれば、平等の原則は、絶対的な平等である。絶対的平等とは、たとえば、100メートル競走の参加者全員に賞品を与えることである。合理的な差別は、平等概念の例外である。常に原則は何かをまず考えよ。
その後、来年度の予算編成をめぐって、道路特定財源の暫定税率に関して、当面5月末まで延長するいわゆるつなぎ法案が出されようとした。これも、議員立法であった。議員立法であれば、審議時間は少なく、政府も質問に答える必要がないという理由によるものであった、最終的には取り下げられた。
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