シニアのロースクール日記(322007年6月


6月1日(金) はしか休校        

 いつもより遅い夕食をとっていたときのことである。NHKテレビがローカルニュースで、「関西学院は3名のはしか患者が確認されたため明日から15日まで全学休校になる。」と伝えた。夕方5時頃、下校するときには、そのような気配はなく掲示もなかった。明日は、民法演習の中間試験が予定されていたので、確認する必要がある。インターネットで大学のホームページにアクセスすると、「全学休校、学内一切立ち入り禁止」の掲示が出ている。そのうち、学長から全学生対象にメールが送られてきた。ただし、ロースクール生に限り、テキスト類を取りに来る者には立ち入りを許可するとのことである。選択科目を除いてテキスト類は、自宅に持ち帰っているので、取りにいく必要はない。
 中間試験が延期になり一瞬ホッとしたが、二週間を計画的に過ごす必要がある。休校明けには、補習授業が集中して行われるはずだ。漫然と過ごすわけにはいかない。そこで、最低限二つのことをしようと考えた。一つは期末までの授業の予習を済ませてしまうこと、もう一つは夏休みに予定していた学習を繰り上げることである。今年、東京の私立大学から転勤してこられた民事訴訟法のU先生から「論点講義シリーズ」を薦められ、すでに「民事訴訟法」は購入済である。この際、他の科目もアマゾンで購入することにし、これらを中心に学習することにした。

 後日、大阪の大学に勤務する友人から届いたメールによると、関西の多くの大学がはしかで混乱しているらしい。中には、休校にしたけれど学生の狂言であったことが判明した大学もあるという。
 授業のある二週間は瞬く間に過ぎるが、授業のない二週間はやはり長かった。


6月21日(木) 正義の番人になれるか       

 木曜日には、「アメリカ会社法」の授業がある。日本の弁護士資格も持つアメリカ人の先生の担当である。授業は日本語で進められ、黒板には書き順はともかくとして漢字も書かれる。アメリカのロースクール並みの授業の進め方である。徹底したソクラテス・メソッドを取り入れ、質問に対してはテキストを見ないで自分の考えを述べることを求められる。
 他の先生と異なり、出席の点呼はとらない。その代わり、学生が回されてきた出席表に自主的にチェックマークを入れることになっている。今日は、ゲストスピーカーとして、ニューヨーク州の弁護士資格を持つ日本人の先生が、「サーベンス・オクスレー法」に関する特別講義が行われた。この法律は、エンロン事件を契機に制定された内部統治に関する連邦法である。
 選択科目となると、遅刻する学生が多い。今日も3人の学生が10分ほど遅刻した。ゲストスピーカーの先生が、今遅れてきた人の名前を尋ね、先生の下に回収されていた出席表に記入しようとした。ところが、既に出席のチェックマークがなされているとの指摘である。アメリカ人先生は、代わりにマークした学生を含めて、授業終了後残るように指示された。
 ロースクール学生が、このような不正をするとは嘆かわしい限りである。最近は、公安調査庁元長官が、不正な不動産取引に関与したり、慶応大学の行政法の先生が、試験問題の漏洩まがいの行為をしたり、不祥事が続いている。ドイツ語で弁護士のことをRechts Anwaltという。Rechtsとは正義を意味する。「正義の番人」という意味のようだ。弁護士という名称からは、このようなニュアンスは伝わってこない。


6月26日(火) 芸術家I君の教訓
 
 火曜日は学校以外の用事に備えて、授業はとらないことにしている。午前11時まで、明日の憲法の中間試験の準備をした。東大教授長谷部恭男先生のテキストを取り出し、人権の部分を読み直した。先生の「切り札としての人権」という概念は理解しやすい。
 午後1時に京都四条河原町に着き、バスで清水寺の近くの大谷本廟へ向かった。妻の両親の納骨がされている。今日は年に一度行われる永代経法要の日である。若い僧侶たちの阿弥陀経の読経は、キリスト教の賛美歌とは異なった音楽的な美しさがある。
 法要を終えて、河原町通りの画廊に立ち寄った。高校時代から親しくしているI君から個展の案内をもらっていた。I君は、高校卒業後、京都の美術大学に進み日本画の世界に入ったが、10年ほど前に現代美術に方向転換を図った。今日の展示物は、紙を材料にした工芸作品である。材料は新聞の折込チラシである。紙は木材から作られる。彼の発想は、逆に紙から木材を作ることである。例えば、白蟻に食われた家の廃材がある。これと同じものを、折込チラシを溶かした材料で作り上げ、着色するのである。本物の木材と、紙から作った木材が並べ展示されていたが、説明を聞くまで見分けがつかなかった。
 I君によると、60歳になるまでは、他の芸術家の事が気になったという。そのために、自分の作風が影響を受けて自分らしさを発揮できなかった。60歳を過ぎて、人のことを気にしなくなると、思いのままに表現できるようになったと強調していた。
 周囲の学生のことを気にすることなく、集中することの大切さを教えられた。


▼Homeに戻る