シニアのロースクール日記(27)2007年1月 1月26日(金) それでも ボクは やっていない 22日の刑事裁判実務を最後に期末試験が終了した。今回は、グループで昨年の問題を所定時間内で解く答案練習会をして準備した。解答を先生に見ていただき、弱点ポイントを把握し、正月休みに補強することにした。一年前と比べて、失敗科目はない。 試験が終わったとはいえ、あまり気を抜くわけにはいかない。新司法試験まで1年と4ヶ月となった。入学後これまでの2年間は、基礎的なことを習得することに時間を費やしてきた。これからは本試験を視野に入れた勉強に切り替えていく必要がある。4月上旬に再開される授業までの約80日を有効に過ごす必要があると考えた。早速、翌日の23日から図書館の研究個室にこもり、学習プランを作成することから始めた。最低限の目標として、二つのことを設定した。ひとつは短答式試験のための知識を蓄積すること。もうひとつは、試験科目の要点ノートを整理することである。要点ノートは効果がある。期末試験でもこれが大いに役立った。試験直前には覚える量をできるだけ少なくすることが、秘訣である。そのために、本試験の直前に覚えるコンパクトなノートが必要だ。民事訴訟法の判例百選の要点ノートの作成から着手することにした。 ところが、二,三日、ノート作りを続けたが能率が上がらない。試験が終わっても一日も休んでいないからだ。そこで、気分転換のため、梅田へ映画を見に行くことにした。日経新聞や朝日新聞にも紹介された周防正行監督の『それでも ボクは やっていない』という東京の西武新宿線高田馬場駅で実際にあった、痴漢冤罪事件をベースにしたものである。事件は乗車率250%という満員電車の中で起こる。犯人とされた男性は、フリーターで、面接試験に行く途中の出来事である。被害女性は15歳の中学生。場面は、電車が次の駅で止まり、ホームで被害女性に腕をつかまれ駅事務室に連れて行かれるところから始まる。刑事訴訟法213条によれば、私人でも現行犯逮捕ができる。直ちに、警察署に連行され留置場に放り込まれる。ライブドアの堀江元社長が収容された東京拘置所のような一人一部屋ではない。5人一部屋の雑居房である。暴力団の組員風の男や窃盗の常習犯風の男がいる部屋に押し込まれた。 最近は、痴漢犯罪の場合、犯人の掌に付着した被害女性の衣服の繊維片が証拠として採取されることが多い。しかし、この映画の事件の場合は、繊維片はなぜか採取されず、被害女性の供述が唯一の証拠として裁判が進められた。男性の支援グループの人たちが、被害者の供述をもとに再現実験をしたビデオを法廷に持ち込み、無実を証明しようとした。男性は、取り調べ段階から公判にいたるまで、一貫して否認していた。男性が必死に無実を訴えたにもかかわらず、懲役4ヶ月の実刑判決が下された。 館内には、やるせない雰囲気が漂う。多くの人がポップコーンを持ち込んでいたが、上映中は音ひとつ聞こえなかった。映画が終了しても場内は静まりかえり、明るくなるまで席を立つ人はいなかった。それほど、国家権力の恐ろしさと、いい加減さを見せ付けてくれる映画であった。 わが国では、起訴された事件の有罪率は99.9%である。刑事訴訟法のテキストには、「疑わしきは罰せず」とか「無罪推定」の奇麗事の言葉がならぶ。しかし、現実は「疑いがあれば罰せよ」であり、「有罪推定」がまかり通る。映画の中では、何回か「人質司法」という言葉が使われていた。いったん逮捕されると、罪人に仕立て上げられる。 帰宅して、夕刊をふと見ると、富山県警が強姦容疑で男性を誤認逮捕し、二年間服役させたという記事が出ている。富山県警と富山地検が家族に謝罪した。ところが、男性は、現在行方不明だという。この人の人生を、誰がどのように償うのだろうか。 刑事訴訟法第1条には、目的として次にように書かれている。 この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の人権の保障を全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。 周防正行監督の『それでも ボクは やっていない』を観て、多くのことを考えさせられた。これは、ロースクール受験生や、今年合格した人にも勧められる映画だ。 |