シニアのロースクール日記(26)2006年12月 12月18日(月) 「学ぶ」とは「まねぶ」 高校に入学した直後、平家物語を教えてくれた古文の先生が、最初の授業で言われた言葉がある。「学ぶ」の語源は「まねぶ」であるという。「まねぶ」とは、真似をすること。先人が作り上げた文化の真似をすることが、学びの第一歩である。そこで、平家物語をしっかり暗誦するようにと。お陰で「祇園精舎の鐘の音」から始まって「盛者必衰の理を表わす」までは、今でも諳んじている。古文の先生のこの説明は分りやすく、心に強く刻み込まれ、これまでの人生を通じて忘れたことはなかった。学ぶとは、基本的なこと、基礎的なことを身につけることであると理解してきた。 最近、民法ゼミの先生からも、同じ言葉が発せられ、新鮮な気持ちで聞き入った。この先生は、毎週宿題として事例問題を出し、1週間後に提出を求める。その翌週添削して、返却してくれる。先生が言われるには、事例問題を解くに当たっては、まず類似判例を調べ、その中で原告がどのような主張をしているかを理解し、それを真似して答案に表わせ。なるほど、もっともである。 ところが、新司法試験の問題は、昨年のプレテスト、今年の第一回試験の問題が示しているように、ただ判例の事例を覚えただけでは、解けないような問題が出される。法律以外の常識がなければ、太刀打ち出来ない問題が多い。今日は、民事裁判実務と刑事裁判実務の最終授業であったが、二人の先生から、今年の新司法試験の採点委員のコメントが紹介された。それによると、法律の解釈に加えて、事案に即してどれだけ考える力があるかを評価するとのことだ。 民事裁判実務の授業の内容は、実際の裁判を想定して、原告の代理人として訴状を作成したり、逆に被告の代理人として、それに反論する答弁書を作成するものである。先週出題された事例の概要は、次のようなものであった。 大手のA会社と取引をするには、協力会の会員会社であることが条件だ。A会社から仕事を欲しい会員会社ではない個人企業C会社は、会員会社であるB会社から名義を借りることになった。C会社が、電気工事の配線ミスをしたため、A会社に損害が発生した。A会社は名義貸しをしたB会社に損害賠償を求めた。B会社は、直接工事に携わったC会社に全額の損害賠償を求めた。C会社は、B会社からの請求額には、B会社自身の工事ミスによる損害が含まれているのではないかとの疑念を抱いた。 いくつかある設問のうちの一つは、C会社はA会社やB会社にどのような、証拠書類の提出を求めることが出来るかというものである。先生の講評によると、多くの学生は証拠書類として設計図と答えていたという。通常、企業では、事故が発生すると事故報告書が作成される。その事故の原因が、請負業者の工事ミスであるときは、その業者名が報告書に明記される。さらに、その事故内容から、社内基準に従って損害賠償額の算定が経理部門によって行われる。損害賠償請求額が確定しても、業者は減額交渉をするのが普通だ。そうすると、事故報告書のほかに、交渉記録と最終的な合意文書も存在するはずである。今まで、企業に勤務した経験がなくても、常識的にこの種の書類が存在することを、自らの頭で考えることが求められている。この種のことは、どんな問題集にも出ていない。自分で考えるしかない。 昨年の民法のプレテストでは、銀行員の詐欺の事例が出題された。銀行員から騙し取られた金を、銀行から取戻すことができるかを問う問題である。そのうちの一つの事例は、銀行員が、金のある高齢者の自宅を訪問して、銀行が新規事業を始めるので、そのための資金として、金を貸して欲しいというものであった。銀行の主な業務は貸付と預金であり、顧客から金を借りることはありえない。この事例の場合は、銀行員に代理権があるとはいえず、銀行に対して損害賠償請求は出来ないという結論になる。 「学ぶ」とは「真似ぶ」であると教えた民法の先生も、真似をすればそれで足りるといっているわけではない。新聞等もよく読んで世の中のことを勉強せよと、毎回の授業で言われている。 |