シニアのロースクール日記(232006年9月

9月8日(金) 『だまされない〈議論力〉』を読んで
 
 吉岡先生の『だまされない〈議論力〉』を昨日読み終えた。ドイツ在住のクライン孝子の話が印象に残った。日本人があまり知らないドイツの事情を持ち出して、日本人を非難する。ドイツはきっちりしているが、日本は曖昧であるという風に「情報格差を利用して」批判する。ドイツに二年間住んだ経験から言うと決してこのような結論にはならない。例えば、鉄道の時間の正確さにおいては、日本が格段に優れている。ドイツの鉄道の時刻表はないのも同然で定刻通り運行されることはあまり期待できない。
 クライン孝子のような人は、日本にもいる。早朝のNHKラジオで「心の時代」という番組がある。今日は国立民俗博物館のイヌイット研究者が話していた。イヌイットとは、カナダの極北の地に住む狩猟民族でエスキモーのことである。彼は20年来、毎年その地を訪れ、イヌイット社会の研究をしているという。研究者によれば、イヌイットの人口は約4万人で500人から2000人で一つの集落を作って暮らしている。主な食糧はアザラシの肉である。村落の中にはアザラシを捕獲する技術に優れた者もいれば,不得意な者もいる。ところが、イヌイット社会が成り立っているのは、狩猟技術の違いがあるにもかかわらず、獲物は村人の間で平等に分け与える。狩猟技術に優れたものが、分け前を多くとるようなことはしない。
 彼の話がそこで終われば、何もいうことはない。ところが、最後に日本社会との比較をする。「日本の社会は戦後個人主義が進行し、助け合いの精神がなくなった。もっとイヌイットから学ぶべきである。」と、現代の日本人に警告を与える。この研究者は、日本社会が戦後急速に変貌を遂げたことを問題であると考えているようだ。私が生まれ育った、琵琶湖西岸の村でも昭和20年代までは「入会権(村でそのように言っていたかは知らない)」が存在し、村人は自由に山に入り柴を刈って、燃料にしていた。また葬式の互助組合の役割をする講という組織も存在した。昭和30年代に入ると、農業だけでは生活できない世帯が兼業農家に転換する。やがてプロパンガスが普及するようになって、かまど(「おくどさん」と呼んでいた)が消えガスコンロに変わった。農村社会での人々につながりは次第に薄れて行った。日本社会は全体として、農村社会から商工業を中心とする社会に変貌した。その意味では、イヌイット研究者が指摘するように、日本人は個人主義的傾向が増えたかもしれない。
 でも、村社会が消えたわけではない。多くの村々から労働力として人を集めた企業が村の役割を果たしている。勤務していた会社では、直系親族が死亡すると、人事課が葬式の手配一切をしていた。職場の同僚も手伝いに駆り出される。このことの是非は別にして、近代的といわれる企業にも村社会が残っている。一面的な情報だけで、物事を判断することについては、慎重でありたいと思う。

9月10日(日) 他校生との交流 

 この二日間、大阪弁護士会が夏休み中のロースクール生を対象に、ロールーム・リレー講座を新装成った大阪弁護士会館で開催したので出席した。大阪弁護士会の弁護士が、学校では教えないホットなテーマについて講義するものである。7つの講座が準備され、関西圏のロースクール生約100名が聴講した。本来の目的は、実務家教員の少ないロースクールの学生のために、単位認定しようという試みで始められたが、文部科学省の認定が得られなかった。今回のテーマは、アスベスト被害訴訟、C型肝炎訴訟、グレーゾーン金利など、現在最も社会的に注目を浴びているものが含まれていた。
 「ジェンダーと法」を報告した女性弁護士は、裁判官が強姦致傷事件を裁判する場合、女性についての一定のイメージ、価値観で判断することがあると述べていた。裁判官は、被害女性の日常生活を問題にし、例えば職業がイベントコンパニオン、モデルなどの場合は加害者が無罪になるケースが多いという。レストランでスパゲッティを注文し、硬かったので取り返させた事実まで調べられた。そのような女性は普通の日本人でないと判断され、被害者側に不利に働いた事例が報告された。
 全講座が終了した後、大阪梅田のビアホールで懇親会が催された。国立大学の女子学生と同じテーブルになった。彼女達の話によると,国立大学の学習環境は必ずしも優れていないことが分った。一般的に教員の定員が抑えられているためか、学生60人単位の授業が行われ、双方向とは程遠いという。また自習室やキャレルも完備していない。講座の内容については、2年生からロイヤリング(模擬法律相談)、クリニック(実際の法律相談)、エクスターンシップ(弁護士事務所での実習)のいずれかを選択することになるのだが、定員数が少なく単位取得が難しいという。同じテーブルに同席した関学の実務家教員に対して、事務所で実習させて欲しいと依頼していたのが印象的であった。
 関学の場合、ロイヤリングの科目は一般市民に模擬相談員になってもらい、学校が準備したテーマについて、学生に法律相談をする形で進められる。初年度は、吉本喜劇の役者に依頼していたのだが、報酬が高く昨年から一般市民にボランティアで参加を依頼することになった。私の妻もその一人である。これまで3回の研修を受けてきた。
 エクスターンシップはGPA2以上の学生から、志望理由を審査して25名が選考される。幸い審査に合格し、来年3月に大阪の弁護士事務所で実習することになった。

9月27日(水) 第1期合格者Sさんを囲んで

 21日に新司法試験の合格発表があり、関学では28名が合格した。64人が受験した中で、学校の成績40番以内の人が25人、41番以下の人が3人合格した。合格率では、関西私大の中ではトップ、合格者数では同志社に次ぐ。Sさんも合格者の一人で、今日ケーキとお茶で「お祝いの会」を持った。Sさんについては、毎日新聞関西版にSさんの喜びのインタビュー記事が掲載されていたので、そのコピーを手渡した。受験歴9年でようやく栄冠を勝ち取った。その努力に感心するばかりである。
 今日集まったのは、Sさんを指導員にして夏休みに民法の勉強会をした仲間10人である。年々入学者の学力と意欲が低下していることに危機感を抱いた学校が、自主ゼミを編成すれば、今年3月に卒業した1期生の中で成績優秀者を指導員につけてくれるという。私が核になって、先ず6名のグループを編成し、指導員にSさんを指名するよう希望を出したところ聞き入れられた。その後、Sさんの評判を聞いた学生が参加を申し込んできたので、12人に膨れ上がった。
 お祝いの会には、自主ゼミ生12人のうち、10人が集まった。会の初めに、お祝いと感謝の気持ちを込めて、これから必要になるネクタイを贈った。「勝って兜の緒を締めよ」とのメッセージも込めている。
 Sさんによると、短答式の成績は全国で100番台であったという。短答式の勉強には二通りあって、過去問を一問一問丁寧に、時間をかけて解く方法と、間違いを気にせずスピードでできるだけ沢山解く方法がある。Sさんは、後者の方法をとった。数多く解くうちに、自然に知識が蓄積し、直感で解けるようになるとのことだった。論文対策としては、特に論証ノートを作るようなことはしなかった。ノートを作成するのは時間がかかるだけで、効果が少ないとの考えによる。予備校が出している参考答案を批判的に読み、自分であればどのように書くかを考える訓練をしたという。判例を読む場合も、一方の主張に対して他方がどのような論理で反論しているかを理解することに力点を置いたとのことであった。すでに全科目の再現答案を作成してあるので、近々自主ゼミ生に配布してくださることになった。問題文が長文で、資料も多い新司法試験対策としては、独学よりもグループ学習の方が、効果があるとのアドバイスもあった。日頃、グループで議論する習慣を見につけておくことが重要だ。
 何れも示唆に富む話であり、自分の勉強法について軌道修正が必要ではないかと考えた。 11月から始まる司法研修に入る前に、結婚されることになった。重ねて「おめでとう」といいたい。


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