シニアのロースクール日記(192006年5月

5月31日(水) 法曹倫理の授業で

 2年生の授業の特徴の一つは、将来の法曹の実務家を養成するための科目があることだ。4月から始まる前期には、「法文書作成・法情報調査」と「専門職責任・法曹倫理」という二つが必修科目になっている。前者の目的は、陳述書や内容証明など法的な文書を作成する能力を身に付けさせることである。後者は、弁護士としての倫理をテキストの設例を用いて考えさせ、弁護士職務規定を理解することが目的である。何れも、現職の弁護士が担当している。
 今日の「専門職責任・法曹倫理」のテーマは、裁判の場での弁護士同士の誹謗、中傷である。設例は、ある医療過誤訴訟において、医師の側の弁護士Xが被害者の身辺調査をしたことに対して、被害者側の弁護士Yが「精神異常である、品性は低劣、行為は卑劣」と準備書面に記載した事件が基になっている。このY弁護士の態度についてどのように考えるかについて問われた。そこで、以下のように発言した。

 相手方の弁護士を誹謗・中傷する行為は、単に本人の品性を下げるばかりでなく、本来解決すべき争点が曖昧になる。弁護士以上に、当事者である原告と被告は感情的になる。弁護士の役割は、自ら感情に走ることなく、これら当事者がお互い人身攻撃しないようアドバイスするという役割がある。
 実は昨日、「民事訴訟演習」の科目を欠席したのは、神戸地裁の法廷で被告として当事者尋問を受けていたからだ。内容は、プライバシーなのでいえないが、相手方は陳述書の中で、私のことを「泥棒、詐欺師、共謀」などの言葉をちりばめ人身攻撃をしていた。陳述書は当事者が書くのが原則とされているが、生の形で出されると争点がぼける。そこで、多くの場合、弁護士が当事者の口頭による陳述を基にして書類にする。これは、法文書の授業で既に習ったことである。人身攻撃をした陳述書を裁判所に提出することを容認した相手方弁護士がどのような人物か興味を持って法廷に臨んだ。相手方に対する主尋問の締めくくりとして、私の性格について質問した。この時も、攻撃的な発言をするよう誘導していた。争点と性格とは何の関係もない。
 続いて、私に対する主尋問の後に、相手方弁護士が反対尋問に立った。最初は穏やかな口調であったが、そのうち誘導尋問を始めた。それに乗らないでいると、次第に声を張り上げ恫喝するようになった。恫喝に動じるような自分ではなかったので、終には矛を納めてしまった。
 いい反面教師の姿を見せてくれた。昨日は、授業を欠席したが、「民事訴訟」だけでなく「法曹倫理」も含めて良い課外授業を経験することが出来有意義な一日であった。

 以上のように述べて、発言して締めくくった。実は、先週の内にこのテーマを予習し、担当の先生にメールで、発言したいことがあるので指名するように頼んでおいた。どの科目でもいえることだが、授業の冒頭部分で発言しておくと、後は指名される可能性は少なく、余裕をもって残り時間を過ごすことが出来るというメリットがある。
 午後の3時間目の憲法演習は、「泉佐野市民会館事件」がテーマであった。冒頭に、事件の概要の説明を求められ、先生と視線が合い指名された。そこで、予習ノートを見ながら自分の言葉で説明した。中には、正確性を期すためか、判決文に書いてあることを棒読みする学生がいる。先生が、「要するにどういうこと?」と質問すると、自分の言葉になっていないので説明できない。未だ表向きの体裁を取り繕う学生がいる。

 5時間目に、憲法の中間テストがあった。出題されたテーマは「在宅投票廃止国家賠償請求」「在外選挙違憲判決」「目的効果基準とレーモン・テスト」「適用違憲」などで、何れも基本問題であったから大失敗することはなかったと思っている。


◆この度出版された「アメリカ新発見」藤沢武史編著(晃洋書房 刊)の第4章を執筆しました。これは、多様なアメリカを理解するための新しいアプローチを13のテーマで紹介したものです。アメリカでのビジネス経験者の立場から書きました。執筆部分について6月13日 関西学院大学で講義することになっています。

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