シニアのロースクール日記(182006年4月

4月15日(土) いよいよ二年目がスタート

 昨日から新学期が始まり、二年目がスタートした。新たな気分で登校する。大学前通りの桜は満開で、一年でもっとも素晴らしい風景だ。正面には時計台があり、その後に甲山(かぶとやま)が控える。関西で借景を取り入れた大学は他にはないのではないかと思いつつ学校へ向かう。学部の授業も始まり、通学路は人の波で溢れる。
 基礎を中心とした1年生の授業と異なり、2年生では各科目とも判例中心の授業になる。1審から上告審までの判決文を読み、事件の概要、原告と被告の主張、判決理由などを整理して授業に備えることが要求されている。かなりハードで、一年生のときの倍くらいの時間が予習のために必要だ。

 11日火曜日午前の選択科目の「アメリカ憲法」に出席した後、午後の「民事訴訟法演習」に臨んだ。クラスは、今年既習2年コースで入学した人と混合して編成された。未修9人、既修11人の構成である。1年生の頃は、授業が開始されてもお喋りをする人がいたが、2年になるとさすが開始時には静まり返り緊張感が漂う。
 授業の始めに、元裁判官の先生から各自、自己紹介するよう求められた。大半の人が、氏名と出身大学を言うだけで済ましてしまう。それでは印象づけることができないと思い、民事訴訟に関係つけて自己紹介した。経歴を述べた後「長い人生の間には、紛争に巻き込まれることがある。これまで原告になったり、被告になったりしたことが数回ある。現在も係争中のものが1件ある。趣味はドイツのアウトバーンを時速180kmでぶっ飛ばすこと(他の車は昔の新幹線並みの230Km出していましたが、そこまではできませんでした。ドイツ車はスピードを出すほど、路面に吸い付くように走り安定感が出ます。これがアメ車と違うところです。アメ車は70マイルで車が浮き上がる感じがしました。日本では、スピードを出せないのが残念です)」と締めくくった。
 この日の授業のテーマは、「法律上の争訟」であった。事件は宗教法人の内部紛争。未修、既修を問わず予習はしっかりしているようだ。しかし、先生の質問に対する答えを聞いていると、既修者が未修者に比べて学力が大きく上回っているようには思われなかった。もっとも、未修者の中には先生から指名された時、間違ったことを言って人前で恥をかくのが困るという人がいる。そこで、すでに授業の終わったクラスの学生から、ノートを借りて質問に対応しようとする。自分の頭で考えないで力がつくのかと、他人事ながら心配になる。間違った答をしたときこそ、身に付けることができるのだが。
  13日木曜日の刑法演習の時間の冒頭にも、現職の弁護士である先生からも自己紹介を求められた。緊張はいまだ解けない。名前の後に「どうぞ宜しく」を付け加えるのみで、余裕が感じられない。全員ピリピリしている。そこで、自分の番が回ってくると少しでも緊張感を和らげようと、今回は刑法と関係づけて自己紹介した。「今まで犯したことのある罪は、5千円を拾って警察に届けなかった遺失物横領罪だけである。逆に犯罪被害は、何れも外国のことであるが、置き引き、寸借詐欺、スリ3回の被害にあっている」と話した。後の人も、同じように空き巣に入られたなどの犯罪被害を述べ、その日の授業は和やかな中で活発な議論がなされた。先生にも直ぐに名前を覚えてもらった。
  二年生になって変わったことといえば、キャレルと称する専用自習机が与えられることである。しかし、利用しないことにした。机の上に人形を飾ったり、ポットでお湯を沸かす人がいる。沸騰すると警報音が出る。静かな環境が期待できないので、毎日図書館の研究個室を利用している。大学院生であれば個室を利用することができる。PCも接続できるし、地下に行けば法律雑誌をはじめ資料を調べることができる。コピー機もあり、また疲れたときは喫茶室も利用できる。
 夕方、憲法判例の勉強会を始めることについて、1年生のときのクラス仲間二人と相談した。時間的には、余裕がないかもしれないが、授業で取り上げる判例だけでは不十分ということでは認識が一致し、5月から始めようということになった。既修者にも、参加を呼びかけることにした。

4月21日(金) 既修入学者について

 クラスのコンパが既修入学者の企画で、担当教員を交えて学校近くの居酒屋で行われた。所属するクラスは、授業開始後2週間で早くも未修、既修の心の壁が取り払われ融合が進んでいる。教室内の席も交じり合って座っている。別のクラスは、そうでもないらしい。席も完全に分断してすわり、既修者の中には発言も消極的な人がいるという。全般におとなしい人が多いそうだ。
 既習入学者の中には、何年も現行試験に挑戦して失敗した人がいる。予備校で憶えた「思うに、この点」式の論文の書き方から脱却することに非常な不安を覚えている。コンパで、このことを相談した学生に、実務家教員はワンパターンの書き方ではなく、普通の日本語で書くことを心がけるようにとのアドバイスをされていた。希望するなら、いつでも文章添削をするとのことであった。司法制度改革の目的が、予備校教育の弊害を脱し、幅広い人材の養成にあるといわれている。この人は早く気がついたので、期待が持てる。
 既習入学者には、社会経験のある人は殆どいない。学力の差も目に付く。憲法演習の授業で、先生から「外国人に人権が認められるか」と質問されて、「条文には、日本国民と限定されているので、外国人には人権は認められない」と答える学生がいて、驚いた。「権利の性質上、日本国民のみに認められているのを除き可能な限り・・・」という判例を知らないようだ。堂々と精神的自由権は認められない、と耳を疑うようなことを言う。これまで判例を読む勉強は殆どしていないという。判例を読まなくても、教科書に書いてある基本的な知識なのだが・・・。
 又、商法演習の時間に株式の譲渡性が問題になったケースで、「株を売りたいとき、何処へ行くか」との質問に、「証券会社」と答えられない人がいた。ライブドアの一連のニュースを知っていれば、常識的に答えられるはずだ。授業の後で、この学生に「生きた法律の勉強をするためには世の中の動きに敏感になる必要がある。新聞を読むように。」とアドバイスしておいた。大部分の学生は、学校近くのワンルームマンションに居住しており、新聞を購読するだけの経済的余裕がないのが実情のようだ。
 関西学院は、来年度の入学試験から既修者の入学定員を15名減らし、その分未修者を増やすと発表した。コンパで担当教員にその理由を尋ねると、これまでの実績から、既習者の成績レベルは未修者に比べて全体的に低く、伸び悩みがあるとの判断をしたからだ。
 憲法判例の勉強会に参加を呼びかけたが、参加の意思を表明した既修者は11人のなかで、僅かに一人であった。これまでの勉強方法から、脱却するのが不安らしい。自分ひとりの殻に閉じこもらないでグループでの勉強の良さに気づかないと、今後さらに既修者の入学定員の減少は続くと思われる。

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