シニアのロースクール日記(16)2006年2月 2月17日(金) 国際離婚の模擬調停 今日は、国際離婚を巡ってアメリカのペンシルバニア州テンプル大学学生と模擬調停を行う日である。前日には散髪屋に行き、久しぶりにスーツにネクタイ姿で登校した。期末定期試験終了後の3週間のほとんどを、この準備に費やしてきた。 テーマは国際離婚に伴う親権の付与と面接交渉権である。実際に起こった事件を元にしている。国際結婚の増加に伴い国際離婚も増え、子供を巡る紛争が絶えない。イタリア人女性と結婚した日本人男性が子供を日本に連れ去った事件もある。事件を複雑にしているのは、日本がハーグ条約に加入していないこと、日本の裁判所が殆ど外国人の訴えを認めないことである。 模擬調停の目的は、双方の学生が代理人になって相手方と交渉して合意点を見出すことである。事件の解決より、議論のプロセスが重視される。事件の概要はこうだ。 スチュワーデスをしている日本人女性が、小学校教師であるアメリカ人男性と結婚し、フィラデルフィアに新居を構えた。1年後に女児が誕生したが、収入は妻の方が多く家計を支えるため仕事を続けた。夫は、国際線の乗務で家庭を顧みない多忙な妻に不満を抱き、やがて同僚教師と不倫の仲になる。妻は子供を夫の元に残して、別居を始めた。別居して2年後に離婚した。親権は夫に認められ、収入の多い妻に養育費の支払が命ぜられた。妻の父親が癌に倒れたので、子供を祖父に一目会わせたいとの願いが聞き入れられ、3週間の日本への一時帰国が認められた。ところが、母子は3週間経過しても米国に戻らない。男性は、日本の家庭裁判所に親権や面接交渉権を認めるよう訴えたが認められない。そこで、調停によって解決したいと考えている。他方、日本へ帰国したものの、女性には仕事がなく、相手方から養育費だけは取りたいという思いがある。 会場には、教職員はじめ、他校の先生、一般市民など約40数名の聴衆の姿が見える。しかし、学生の姿は殆どない。司法試験に直接役に立たないイベントには積極的になれないようだ。とはいえ、選択科目には国際私法があるので、全く役に立たないというわけではない。未経験のことにチャレンジすることは、何にも変えがたい貴重な経験であって、一番勉強になると思うのだが・・・。 公式言語は英語である。一般参加者のために同時通訳が用意された。一部始終はビデオに記録された。 双方の代理人が調停委員の前で冒頭陳述をした後、それぞれ分かれて内部で依頼人を説得して妥協点を探る。その結果を、調停委員に伝えるという手順で進行した。女性側の代理人は私を含め三人、一人はボストン大学留学経験、もう一人は日本のインターナショナル学校出身者で何れも英語が堪能である。私の役割は、依頼人の説得役である。相手方代理人は男女学生の二人で1月に来日したばかりだという。双方ともに、依頼人が同席した。当方は学部で刑事訴訟を担当され、また演劇経験もある先生である。着物姿で登場し感情移入をして、見事な女性役を演じられた。 当日の模擬調停そのものも楽しむことが出来たが、そこに至るまでの過程の方がよりいっそう楽しかった。参加した3名はこれまであまり言葉を交わすことはなかったので、まず人間関係の構築から始めなければならなかった。さらに、与えられたFact Sheetsには、必ずしも依頼人の過去や人物像が十分に描かれていない。この幹に枝葉をつけて、生き生きとした人物像に仕立て上げるのは、結構楽しい作業であった。さらに、相手方の出方について、いくつかのバリエーションを想定して、それに対する反論の準備、当方の要求と根拠付けなど、随分頭の体操になった。 以下は指導教員に提出した感想文の一部である。 (1) 欧米人の交渉術について アメリカに駐在した頃「Doing Business with Japanese」という本を読んだことがある。これには、Bluffを使えば、日本人は直ぐに妥協するというという趣旨のことが書かれていた。このことは、現実にビジネス交渉の場でも経験した。たとえば「太平洋のかなたに蹴っ飛ばしてやる」とか「直ちに荷物をまとめて東京へ帰れ」といわれたことがある。今回も相手方は、要求を聞き入れなければメディアに発表するなどといってBluffを使った。 これを予想して、当方の第1回交渉姿勢は弱腰を見せず、強硬姿勢を貫くことにしていた。ところが、相手方は、強気一辺倒ではなく和戦両様の構えで出てきた。これは予想していなかったことで、自分の今までの経験だけに頼って戦略と戦術を立てることの危険性を知った。 大阪梅田での懇親会の場で、相手方代理人に交渉戦術について聞くと、「日本人との交渉では強気一点張りでは成功しない」ことを認識していたということであった。相手方も交渉術に関して学習していることがよくわかった。 (2) 国民性という意識 今回の事例をはじめとして国際離婚に関する事件に関する資料を読んで、もっとも疑問に感じたことは、なぜ「アメリカ人」は面接交渉権にこだわるのかということであった。「日本人」は親権が付与されない側の親は、たとえ養育費を支払っても面接を求めない例が多いという認識があった。この疑問を、前日に京都案内したサウスカロライナ大学の教授に聞いてみた。教授は「アメリカ人、日本人」などと一般化して考えることの問題を指摘された。アメリカ人といっても多様な人からなり、面接交渉権を求める人もあれば、そうでない人もいると強調された。同様に日本人も色々な考えの人がいるのではないかとの指摘である。 これまでの企業における経験から、自分の中には一定の「アメリカ人像」が出来上がっていたが、このような意識、先入観は国際間の紛争解決には障害になると感じた。今回の事例の女性の悲劇も個人と個人の関係として捉えず、日本人とアメリカ人の関係に置き換えて捉えたことにあると考えている。 今回のWork Shopに参加して、私にとって最大の収穫は過去の経験や先入観に頼りすぎることの危険性を十分認識したことであった。 |