シニアのロースクール日記(10)2005年8月 8月8日(月) 靴を脱ぐ女 期末試験が終了して、すでに10日たつ。春学期(前期)の期間内に終了できなかった刑法総論の補講が10時から午後3時まで行われた。冒頭、新司法試験のプレテストの概要についての説明があり、続いてシャーロック・ホームズのビデオが放映された。窓際にシャーロック・ホームズに似せた人形を置き、家政婦が時々立っている向きを変える。この人形に向かって、犯人が向かい側の家から銃で撃つという場面である。この場面が刑法のどの論点に当たるかを考えさせようという趣旨である。答えは不能犯。 このように、刑法の授業ではテレビの犯罪ニュースや、刑事もののドラマの一部が上映されるたりするので、楽しく受講できる。テキストは市販ではなく、先生の手作りのものが使用される。今日の講義の主要テーマは、刑法総論の最後の部分である中止犯と罪数論である。罪数論の中で、牽連犯という概念が説明された。住居侵入罪と窃盗罪は牽連犯の関係にあり、重い罪の方の刑が科せられる。テキストには、住居侵入罪の刑が科せられるとあった。ちょっとおかしいのではないか。念のため、六法を調べると、住居侵入は3年以下、窃盗は10年以下の懲役である。先生に間違いを指摘したところ、校正をアルバイト学生に依頼したからという言い訳があった。しかし、著者自身が責任をもってチェックして欲しいものだ。 夏休み中の補講であるためか、出席者は半分くらいである。男子学生の出席は少ない。出席している女子学生も、かなりリラックスしている。服装もキャミソールとかいう「背中半分丸出しルック」も見かける。中には、靴を脱いだままの者もいる。「お嬢さん、それだけは止めなさい」と注意しようと思ったが、思いとどまった。理由を説明しなければならず、きっと自尊心を傷つけると思ったからだ。アメリカに駐在していた頃、女が人前で靴を脱ぐ姿を見せるのは、最もふしだらな振る舞いであると聞いた。ここでその訳を言うとあからさまな女性蔑視になってしまうから控える。いずれかの機会に、一般的な表現でしかも自尊心を傷つけないような方法で、欧米文化との違いを説明しようと思う。 8月10日(水) 適性試験は適性か 前期の成績表が9時より手渡される。ゼミを含め8科目受験したが、5科目がA+ないしAであった。もう1科目くらいはAを期待していたが、GPAも3に近いレベルであったので、相対的な席次も悪い方ではないと思う。未修コース約60名の中に、法学部出身者が半分いる。上位25%位には位置したいところだ。結果は9月中旬にわかる。 不法行為法のように、授業の中で演習問題を取り入れている科目、憲法のようにホームページに練習問題が掲載されている科目は、A以上のレベルをとる事ができた。これに対して、多少の双方向システムで授業は進められるが、演習問題が全くなく講義に終始した民法総則は不本意な結果に終わった。義務教育から高校までの教育を振り返ると、殆どの科目には単元毎に練習問題があった。学習効果を上げるには、やはり演習問題を取り入れる必要があるのではないかと思う。パソコンの膨大なマニュアルブックを読み終えてから、操作を始める事はしない。法律の勉強もパソコンの習得と同じだと思う。同時並行で勉強する法が効率が良い。 昼休みに学生食堂で一緒に食事をした人に成績を聞くと、GPAも1レベルで何科目かは再試験を受けなければならないという。一般化するのは危険であるが、適性試験の成績とロースクールの成績との間には、相関関係はないようだ。適性試験80点台であった人が、論理的な表現力が問われる論文試験で苦しんでいる。逆に、適性試験が平均点以下であった自分のように、一定水準を取れるものもいる。入学の合否判定に当たっては、いずれ適性試験と小論文のウェイトの見直しが行われるのではないか。さらに、社会経験のあることと成績との間にも関連がないようだ。関学は、国家資格を持つ人や20年以上の職業経験のある人に特別枠を設けている。多彩な人材を集めようという試みである。しかし、多彩な経験の持主であっても生活がかかっているらしい。色々の事情があって完全に仕事を止めることが出来ず、パートタイムで仕事を続けている人たちがいる。これらの人は、勉強時間を十分に確保できないでいる。このため、仕事と成績の関係に問題を抱えているようだ。 8月23日(火) 自主勉強会の新たな試み 夏休みに「憲法判例を読む会」を企画して、今日は3回目である。今日のテーマは「在日韓国人元日本軍属軍人援護法訴訟」である。第二次大戦で徴用された朝鮮半島と台湾出身者は、サンフランシスコ平和条約で日本国籍を剥奪された結果、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の国籍条項によって、傷害年金を受給できなくなった。この処分は、憲法14条の平等条項に反するとして、争われたものである。 通常の感覚であれば、当時は日本人として軍務につきながら、終戦後の平和条約で日本国籍を剥奪されたという理由で、日本国籍を持つ日本人と区別して取り扱う合理的理由は見出しがたい。しかし、東京地裁の第1審から最高裁まで、社会権は本人の所属する国に請求すべきという理由で、立法裁量論を展開して原告の訴えを退けている。 自主勉強会では、ロースクール生用として作られたテキストを用いている。たとえば、このテキストには、「『戦災被害者援護法』を制定して、戦災当時『戸籍法の適用を受ける者』であった者に限り、本土の空襲等で傷害を受けた場合に傷害年金を給付するとしたら、憲法14条に違反するか」というような問題が並んでいる。大半の問題は、立法裁量により違憲とはならないと、いう単純な解答になってしまう。 そこで、ある女子学生から提案があった。「自主勉強会の目的は、思考のトレーニングにあるはずだ。単純な答を出して満足するのではなく、テーブルの右側は原告側、左側は被告側に別れて、それぞれがその立場から主張することにしよう。ディベートをしよう。頭の訓練になると思う。」主宰者としては、こういう建設的な提案をしてくれるのを待っていた。実りある勉強会になった。 |