2010年3月10日
 
●『日々精進の道』気合いと根性    
 
 梅

 
いつも読んで下さり有難うございます。今回は、前回の予告したとおり2年生になってからのことについて、お話しようと思います。

 まず、2年生になってから、あぁ、そういうことか!と、わかったことがふたつある。それは、純粋未修者として入学した1年生のころ、上級生から「大丈夫、1年目を乗り切れば、みんなと同じになるから。」とよく言われたのだが、たしかにその通りだと思った。

 もちろん、知識量の差や知識の正確さはキャリアが長い人にはかなわないけれど、2年生になった頃には、自分は何がわからないのかもわかるようになって、入学したての頃の五里霧中という状況ではなくなる。

 もうひとつは、2年生になると、1年生で学修したことを前提とした授業があり、実質的には復習になったりする。そして、純粋未修者にとっては、今までは全てが初めての経験だったのが、ここにきて2回目をまわせるようになる。そこで、私が驚いたのは、初めて学んだときと、2回目に学ぶときとでは、理解のレベルが違うのである。あぁ、あのときわからなかったのは、こういうことだったのかぁ、と気づけたりするのである。もちろん、同じ純粋未修者の方でも初めから正確で深い理解をして良い成績を修めている人もいる。けれども、もしこれを読んで下さる方のなかに、そうではない方がいたとしても、安心してほしい。反復することで、以前に理解できなかったことが理解できるようになったり、理解が深まって、霧がさーと晴れるようなことがあるからだ。

 そんなわけで、日々の授業を乗り切ることで精いっぱいだった1年生の頃と比べて、若干余裕が出てくるので、あれやこれやと考えたり感じたりすることができるようになった。少し余裕をもった目でロースクールを見てみると、当初の設計には遠く及ばない合格率だったり、高い学費だったりで、多様なバックグランドをもつ法曹なんてまず排出不可能な制度になってしまったけれど、学生にとって良い点もあると思う。

 それは、一流の実務家から学ぶ機会を得られるということだと思った。実務家の先生も学者の先生と同様、授業の評判は先生によってまちまちだけれど、実務家の先生には、学者の先生にはない臨場感がある。なかには、抽象的な議論を少しでもわかりやすく理解できるように、実務の経験を踏まえて説明を試みてくれる先生もいる。

 そして何より、一流の実務家は、将来私たちが目指す姿なのであり(同じ法曹になっても到底おいつくことはできないけれど・・・)、その理想像が目の前にあって、教鞭をふるっていたりすれば、そりゃぁ、モチベーションがあがったりもする。これは、予備校の学修と独学では経験できないことなんじゃないかと思う。

 もうひとつ、旧制度との違いで良い点は、ロースクール生という、「司法試験突破を目指す人」という社会的地位が付与されたことだと思う。学生定期は持てるし、学割サービスもいろいろ使えるし、何より、「今何してるの?」って聞かれた時に「ロースクールに通っている」の一言で片付いてしまうので便利である。きっと、他にも、もっと精神的な部分でメリットもあるのだろうけど、きっとそれはもっと、後になって気付くことかもしれない。

 また、ロースクールや法律の勉強と直接関係はしないけれど、気付かされたこともある。ひとつは、字が綺麗であることは大事であるということ、もうひとつは体力である。ロースクールの期末試験や司法試験のメインは論述試験であるが、書きたいことを書きあげるのに時間的余裕のある人なんてほとんどいないんじゃないかと思う。だから、当然、普段書いている字よりも崩れてくる。私は、普段から悲惨な字を書くので、本当に時間がないときは、自分でも泣きたくなるくらい情けない字になってしまうのである。

 内容が良ければ、字なんて関係ないんじゃないか?! って思った人はいるんじゃないだろうか。たしかに、そうかもしれない。でも、読み手は私たちと同じ人間である。綺麗な字で書かれた答案と、悲惨な字で書かれた答案では、心象も違うだろうし、全く同じ内容が書かれていたとしても、頭に入ってくるスムーズさが違うのではないかと思う。現に、私がお世話になっていた先生は、「私の知り合いで採点官をしていた人は、汚い字の答案は、最後にまわして、2回読んでみても解読不能であればもう読まないと言っていた」(伝聞証拠だから証拠能力ないけどね♪)と言っていたし、ある実務家の先生も、採点する側も人間だから・・と意味ありげなことを言っていた。
 
 そこで、私は、ボールペン字をこつこつ始めることにしたのだが、これはけっこう面白い。まだ、字の正しい形を意識することで精いっぱいなので、時間的制約のある期末試験では役に立たなかったが、字は練習すれば綺麗になっていくものだということを実感した。もし、読み易い字が書けないという方は、時間的に余裕のあるうちに字の矯正を強くおすすめする。

 体力については、勉強をするために、毎日ジョギングをしているとか、合気道をやっているといった話を聞いていたけれど、そんなことする必要あるのかなと正直思っていた。しかし、そんなことをする必要はあるのだった。体の調子がよくなければ、長時間の勉強なんてできないからだ。(仕事ももちろん一緒だけれど)私は、2年生の春学期が始まる直前に、大きく体調を崩した。自律神経が、時々、誤作動を起こし、突然、激しい動悸に襲われるようになったのである。おかげで、救急車にも乗り慣れてしまった。

 生き死ににかかわるようなものではないし、周囲からみれば、どこも悪そうには見えないけれど、処方してもらった薬も合わず、春学期が始まって3カ月くらいは、学校で授業を受ける以外は、ほとんどベットの上で横たわっているしかなかった。家から駅へ向かう途中も、激しいめまいで気分が悪く、電車に乗るのも命がけ!くらいの覚悟で通っていた。
で、結局、どうやって乗り切ったかと言うと、気合いと根性である。

 気分が悪いことを理由に一度休んでしまうと、それが前例となり、際限なく休んでしまいそうだったので、まず、どんなに辛くても這ってでも学校に行く、授業であてられそうなのに予習をしていなくても絶対に学校には行くと決めたのである。そして、家でやるべき予習も復習も極限まで絞ることにした。だから、科目によっては、全く予習をせずに臨んだし、復習はそれこそ民事訴訟法の1科目だけしかしなかった。

 
それでも、2年生にもなると、授業も試験もなんとかなっちゃうものなのである。もちろん、体調を崩して無理して学校に行くことはおすすめではない。私の場合は生き死ににかかわる疾患ではなかったからできたことであり、本格的な療養が必要な人は思い切って休学をするべきだ。体が資本なのだから。

 ただ、ここで、伝えたいのは、ロースクールの勉強は完璧にやろうと思えば、際限はない。徹夜で勉強している人だって珍しくはない。それでも、体が言うことをきかないときや、なんとなく調子が悪い状態に陥ってしまい、思うように勉強ができなかったとしても、結構、なんとかなっちゃうものなのだ。だから、にっちもさっちもいかなかくなったときは、開きなおってやれることをやろう! くらいの気持ちになることをおすすめする。とは言っても、3年間、「なんとかなっちゃうものなのである!」的な感じで過ごすわけにもいかないのだから、勉強と同じくらい体力作りに励むことにしたのである。

 1年生の頃と比較すると、2年生は、進級への不安もなくなり、体調を崩したことを除けば、平和に過ごせたような気もする。そして気がつけば、来月には3年生である! 次回が、私の担当のラストになる。「合格への道」って感じで書きたいけれど、まだ合格していないので、現段階で、お伝えできる勉強に役に立ちそうなこと等を書いていければいいいなと思っています。

 今回も、最後まで読んで下さり有難うございました。

               
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