2009年11月25日 
●『法曹への道』への道    
 
 銀杏並木

 今回から担当させて頂くことになりました都内の私立ロースクールに通うアラウンド30です! 全4回ということなので、入学前から現在2年生に至るまでを大きく分けて、私が各タームで感じたことを少しでも楽しくお伝えできればと思います。

 まずは、第1回は私がローに入学するまで。題して「『法曹への道』への道」です。 私は、大学卒業後、不動産開発業者の営業部で営業に従事。自分で言うのもなんだけれど、成績の良い営業マンで、営業という仕事も好きだったし、社内表彰とかされたりもしていた。その代わり、仕事は忙しく、そのストレスを発散すべく、浪費三昧。まさに、湯水のごとくお金を使っていたのである。当時の私は、貯金の「ちょ」の字もなかった。

 ところが、ある日突然、「来るべき日のためにお金を貯めなさい!」と、天からお告げがあったのである。というのは大嘘で、参加した女性ビジネス書家のセミナーで、彼女が言った「チャンスが巡ってきたときに、しっかり掴めるように、最低限の貯金はしなきゃだめ! チャンスの女神は前髪しかないの!」という言葉に単純な私は激しく影響されたのだ。その日から、何の目的もないのに、ものすごい勢いで貯金を始めた。

 そして、貯金通帳を眺めてニヤニヤしながら過ごしていたある日、前髪しかない女神がやってきたのである。まぁ、実際のところは、いきなり弁護士になろう! と思い立ったわけではなく、約1年あまり、異業種の中途採用に応募したりして右往左往しながら自分がどう生きていきたいのか考えたて出した結論がロースクールに行って弁護士になろう! だった。

 まだ、みなさんの記憶に新しいと思うのですが、私が在職中、最も忙しかった時期に、姉歯建築士による建築偽装事件がおきたのである。もちろん私の会社は全くの無関係。それでも不安や不信感にかられたお客様からのクレームや要望、キャンセル申し出に対する説得等々、完全に利害関係が対立する相手に対して説明をしたり信頼してもらったり、解決の落とし所を探る作業が、平常の営業活動に加えて求められたのである。その時、私は毎日胃がきりきり痛んでいたのだが、同時にとても充実感を味わった。利害が対立する相手をいかにこちら側に引き込むか、信頼してもらうか、お互いwinwinであることを納得してもらえるか、というようなことを考えて実践することを仕事にできないか。と考え始めたのだ。そして、思い当ったのが弁護士という仕事だった。

 けれども、交渉や対人折衝がものを言う仕事は何も弁護士にかぎったことではない。更に言えば、弁護士の仕事だって、必ずしも全てがあてはまるわけでもないだろう。だったら、別に弁護士じゃなくてもいいじゃないか。と自分でも思っていた。それでもローに入学することにしたのは、自分の人生設計を考えてのことだった。

 どういうことかというと、私は、途中で休んだりしながらも一生働き続けたいという希望がある。でも、このまま会社員をやっていたら、一生働き続ける代わりに、結婚や出産・育児、両親の世話等々、家族を大事にするという生き方を犠牲にせざるを得ないと思ったのだ。だって、私は女性だから奥さんはいないのだ!かといって、家族を大事にする生き方に重きを置くと、今度は仕事が限られてくる。就業可能時間に限界があれば自ずと仕事の内容も限られてくるなと、社内を観察して思ったのだ。

  もちろん、会社員といえども、両者を両立して充実した人生を送らている先輩方もいる。けれども、私は器用な人間ではないし、徹夜もなんのそのというような体力の持ち主ではないので、ああはできないなと思ったのである。そこで、地道に働きながらも、ある程度働き方を調整できたり、一定期間お休みしても、復帰して同じような仕事を続けられる働き方ってできないものかと考えたときに、手に職をつけるのが一番なんじゃないかと考えたのだ。そして、前述の弁護士になろう! に結びついて、決心がついたわけである。

  そうと決めたらまずは情報集め、某I塾に行き、ローに入るためには何が必要か、私の志望校は、DNCで全国平均+20点くらいは必要、そして私はDNCが苦手らしく対策講座に通った方が良いだろうということもわかった。そして、受験するのは一校に決めた。 次に何をしたかというと、志望校に合格するための環境づくりである。

 私は、自分が決して頭が良くないことも、器用でないこともよくわかっていたので、仕事と合格の両立のための最善の環境が必要だと考えた。ところが、このまま営業部にいたら、平日に予備校に通うことは難しい。最も数字が伸びる土日に休むなんて非国民ならぬ非会社民だ。こんなんじゃDNCも院試も集中して受けられない。そこで何をやったかというと、「ロー受験のために土日休みの内勤務職に異動させて下さい!」と、代表取締役会長に直談判したのである。合格する保証もないのに、来年には会社を辞めてローに行くと公言して、働きながら準備をした。今考えれば恐ろしいことである。新しい挑戦に好意的な風土の会社だったからなんとか許してもらえたのであり、おそらく世間では、私のとった行動は非常識である。そんなこんなで、異動した先も結構忙しく、受験のためにかけられる時間は多くはなかったが、それでも休みが確保されていたので計画は立てやすかった。

 そして、有言実行! 合格をしたのだが、合格するまでも、合格後〜入学までも法律の勉強はゼロである。全くのゼロ。某I塾に情報収集に行った際に、「ローに入るなら、入る前に一通り予備校で勉強した方がいい。」と言われた。でもその時の私は、忙しかったし、まぁ、商売だからそう言うのは当たり前よね〜くらいしにしか受け止めていなかったのである。この勘違いが、入学後からずっと抱き続ける後悔につながるのである。

 合格後は何をしていたかというと、平日は忙しく働いた。そして、社会人になって以来、初めての自由に使える土日休みを謳歌した。退職直前、有給とって、中国雲南省へ少数民族を訪ねる旅にも行った! 勉強は本当に1回目の授業が始まるまで全くしていなかった。

 そうこう、遊び呆けているうちに、08年3月31日、退職の日を迎えることになった。退職から入学まで数日間あるが、何をしていたかって?! 不安に苛まれていたのである。会社を辞めたことで帰属する社会を失い、しかも独身の私は、社会に必要とされていないんじゃないかと不安になったのである。(たぶん、定年退職したお父さんが鬱病になるケースと似た心理なんじゃないだろうか。)そして、万が一この試みが失敗したら、ただの法律に詳しい35歳のおばさんになるという現実もこの時深くかみしめたのである。

 かくして私の「法曹への道」の第一歩が始まった。続く。

 次回は、ロー入学後の七転八倒をお伝えしたいと思います。

               
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