2009年7月22日 
●純粋未修者流、「司法試験業界ジャーゴン」との付き合い方    
 
  月

「ジャーゴン」
――仲間うちにだけ通じる特殊用語。専門用語。職業用語。転じて、わけのわからない、ちんぷんかんぷんな言葉。
『大辞泉』(小学館)より


 多くの純粋未修者にとって、ロースクールに入って戸惑うことの一つに、日常用語ではまったくお目にかかれないような変な専門用語の多さがあります。
自分自身、入学まだ間もない頃に、「刑法の違法性論における行為無価値説と結果無価値説の争い」なんて文章を読んで、「なんじゃこりゃ!?」となったのを記憶しています。

 ちなみに、「行為無価値」と「結果無価値」というのは、違法性(=何が悪いこととして社会的非難を受けるか)の本質部分について、「行為」に着目するか、「結果」に着目するか、の立場の違いを意味します。
 ごく簡単に言ってしまえば、殺人を例にとると、「人を殺す」という「行為」が悪いことと考えるのか、「人の命を奪う(法益侵害)」という「結果」が悪いことと考えるのか、の違いです。具体的事案によっては、どちらの立場を取るかで結論が大きく異なってくる場合があります。
 おそらくは、「無価値」=悪いこと、といったぐらいの意味合いなのでしょうか? どうやら明治期の日本に近代刑法が入ってきた際、当時の刑法学者達がドイツ刑法用語を直訳したせいで、こんな変な言葉遣いになったようです。正直、もうちょっとましな訳語はなかったものか、と文句のひとつも言いたくなるところですが、定着してしまった今となってはどうしようもありません。
 他にも、以前専務がおっしゃっていた民法の「善意」「悪意」なんてのは、日常用語とは全然意味合いが違う法律用語のいい例ですよね。

 こんな具合で、法律学の用語は、日常用語の意味とはまったく異なる定義がされていることが多々ありますので、純粋未修者にとっては、ほとんど外国語を学ぶようなつもりで取り組まなければ、痛い目にあうことがあります。
 一番やっかいなのは、まったく未知の外国語とは違い、使われているのが普段慣れ親しんだ日本語であることでしょう。どうしても文字面と意味とを一緒に読み込んでしまうので、慣れてくるまでは、ひとまず今までの言葉の意味を頭から追い出して、一つ一つの言葉を定義に置き換えながら吟味することが必要になりま す。慣れてくれば、自然と正確に読めるようになってきます。
 外国語の場合だと、まず最初の時期は、たいてい一語一語を日本語に訳しながら内容を理解しますが、慣れてくれば、頭の中でいちいち訳さず、原文のまま読めるようになってきますよね。法律用語を学ぶときは、同じ日本語表記であるだけに、逆に意識的にその第一ステップを踏むことが必要になってきます。

 でもまあ、この辺りはまだれっきとした学術用語ですから、これをジャーゴンとまで呼ぶのは失礼に当たるかもしれません。他にも、論文試験の勉強をしていると、司法試験業界用語とでもいいたくなるような変な言葉遣いが多々あります。
 特に、司法試験予備校の論文試験問題集などを読んでいると、模範解答の言葉遣いのヘンテコさに驚かされます。

 個人的には、一般的な文章では使われない「司法試験業界ジャーゴン」の類は、自分の答案の中で使うのを避けるようにしていますが、そのエース格が、「思うに」という接続詞でしょう。
例えば、「民法177条における第三者とは誰を指すのか?」 などと問題提起した後に、自分の考えを示す一文で、「思うに、同条の趣旨は……であるから……と解釈すべきである」などという形で使われます。
 この手の問題集に触れたことのない方にとってはあまりピンと来ないかもしれませんが、この「思うに」という言葉、どの模範解答でも、ほぼ100パーセントに近い確率で登場してくる、超頻出語です。ひどい時には、ひとつの解答の中で、10回近く目にすることもあるくらいです。
ロースクール進学以前は編集者として働いていたので、文章に触れる機会は比較的多い方だったとは思うのですが、いまだかつて、この業界以外でこんな言葉遣いをしているところは、一度も見かけたことがありません。
 なんとなく文語調(?)で重みを出しているようにも見えますが、結局これって、「私はこう思います」ってことを言ってるだけですよね。不必要であるばかりか、下手したら「主人公が死んでかわいそうだと思いました」なんて書かれた小学生の読書感想文レベルになってしまいかねません。

 とはいえ、この「思うに」の乱発は、単純に予備校の答案作成者が悪いというわけでもなくて、実は裁判所の出す判決文の中で、しょっちゅう使われている言葉なんです(学者の書いた文章中でも、時折見かけることがあります)。模範解答は、こうした判決文の言い回しを真似て作成されているんですね。
 何故、判決文でこうした言い回しが使われるようになったか、理由はよくわかりません。
 思うに(勿論冗談です、念のため)、判決は、司法権という国家権力の発動ですから、あるいは統治権力側の意思を国民に明確に示す、という強調表現的な意味合いがあるのかもしれませんが。
 いずれにしても、裁判所でもない一受験生が、こうした言い回しをあえて真似る必要は全くないでしょう。

ちなみに、判決の言い回しを真似た文語調の表現は、他にもよく見かけることがあります。
例えば、「かかる」(=このような)、「たる」(=である)、「つき」(=ついて)、「けだし」(=なぜならば)……などなど。
 この辺りになると、もはや好みのレベルになるかもしれませんが、個人的には、こうした表現もあまり使わないようにしています。
 例えば天気予報で「今日の東京は高気圧におおわれて、晴天が続くでしょう。降水確率は0パーセントなり」なんて、アナウンサーが突然一部分だけ文語調になったら、なんだか違和感ないですか?
 でも、正直に告白すれば、実際には時折使ってしまうこともあるんですが。理由は、文字数を減らせて時間を短縮できるから。「このような」と書くと4文字ですが、「かかる」と書けば、3文字なので一文字分時間短縮できる。そういうわけで、解答時間が足りなくてあせっている時は、ついつい使ってしまうんですよね……。


 by man on the moon

               
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