1 ジダンは多文化社会の象徴? ボカボ さま 以下の(メールとしては)長めのテクストを7月上旬に書いて、ちゃんと仕上げずにグダグダしているうちに、8月になってしまいました。ワールドカップの余韻も消え、暑い夏も終わってしまった感じ(朝晩は寒いくらい)・・・すると、いよいよテクストとして推敲する意味もないような気がしてきました。が、せっかくなので(?)送ってしまいます。時事性のある文章の書き手としては失格ということかな。「ベルリン・ノート」みたいな雑記帳を考えていたのだけれど、読者を想定できないので、友人宛てのお手紙にしようと書き始めたのです。文体は曖昧ですが。 こちらは街全体が夏休みに入り、アート関係もお休み状態ですが、政治的話題はすべて「レバノン危機」です。安直なコメントは避けますが、気が付く(気になる)のは、本質的にはリベラルのインテリというカテゴリーの人々からシニカルな発言が聞こえてくること。もちろん、公的な立場の人物はそんな発言はしないし、パブリックな場所では「即時停戦」を訴える集会が多く開かれていることも事実です。が、今後のプロットは予測可能だし、その方向を変える、変質させる方法が今の時点では「皆無」である、という認識から来るシニシズム。つまり、イスラエルは攻撃をガンガン続けるが、ある時点で西側諸国が強く介入して止めさせる・・・NATOや国連がレバノン正規軍を応援する・・・それでもヒズボラは生き残る・・・再び破壊されたレバノンが不安定のまま残る・・・またも妥協に妥協を重ねて再興に協力する・・・という展開。イスラエルの誤爆(?)によって国連平和監視員が死亡したときも、「平和監視なんて結局何の役にも立たない欺瞞。巨額の予算が割り当てられている無意味なポスト」という意見を冷静に語る人が多くて、いささか驚きました。 もう一つ、戦争がらみのシニカルな傾向として・・・若手のarmsdealer成金の存在。20代で莫大な富を築く人々。知り合いのユダヤ系フランス人の息子、夫の従姉(レバノン系フランス人と結婚)の息子がそれぞれ武器売買で大富豪になっていると知り、反応に困りました。二人ともまだ30歳前後。両親は複雑な思いで容認している様子です。ネットビジネスよりも確実に、スピーディに財を成すビジネスという認識が一般的。もちろん、中東の内部にコネがある、アラビア語が話せる等々の条件があるようだけど・・・私には理解不能の世界です。 長いメールで恐縮ですが、ともかく送ります。 ではまた。 はる芽 (2006年7月14日記) ヨーロッパは観測史上もっとも暑い夏になると言われています(昨日の新聞では「歴史上もっとも暑い夏」とトーンアップしていました)。たしかに、陽が落ちても気温は下がらず、家のなかでおとなしくしていてもじんわりと汗ばんでくる、こんな不快な暑さがすでに何週間も続いています。日中出歩くときに道路の日陰側を選んで歩く、ペットボトルの水を持ち歩く・・・夏休みにイタリアでやるようなことをドイツで毎日やっている、と苦笑するドイツ人も少なくありません。期待以上の夏を珍しがっていた人々もフランスではすでに今回の熱波で死者が数十名出たと聞いたり、ドレスデン近くでエルベ川の川底が露出するほど水位が低くなっている映像を見たりするにつれて、身体的不快だけでなく不安も感じ始めているようです。農作物への被害予想も深刻になりつつあり、公園の芝生や並木が枯れてしまった2003年の「干ばつ」被害が再発し、今回も環境や農業にひどい傷跡を残すのではないかという不安です。 2003年の猛暑と言えば、フランスでは1万5千人以上が死亡しました。あのときは、暑さのおかげで「家族の崩壊……暑さで倒れた老人を病院に置き去りにしてヴァカンスに出かける家族」、「保険診療・施設の限界……公立の病院に冷房がなく、熱中症患者の対応もできない」という社会における価値の変質と福祉政策の臨界状態が露呈することになり、大いに議論が高まったように記憶しています。しかしながら、その後の対応策・改善策はあまり聞こえてきません。少なくとも暑さ対策という点においては。一般的注意として、オフィスでも家庭でも扇風機を買えという程度のことはアナウンスしているようですが。 あまりの暑さに前置きが長くなりました。今日のテーマは私なりのワールドカップ印象記です。決勝戦は自宅でのテレビ観戦でしたが、試合後、夫と私のどちらからともなく「bitter」という言葉が出てきました。その後、友人知人との会話でワールドカップとその結末が話題になるたびに「bitter」「amer」という形容詞が出てくるのでした。 この苦々しい感触、bitterness/amertumeは時とともに深まるように感じますが、一体何に起因するのでしょうか。フランスの果敢な攻撃が報われることなく、PKという「不条理な」勝負でイタリアが勝者となった、それだけで充分に苦い結末でしたが、ジダンの頭突きと退場はその苦さをさらに深くしました。最大限の賛辞を受けながら現役最後の試合を終えるはずだったジダンが「正当な判断」と言わざるを得ないレッドカードで退場する。あの頭突きの映像を見た瞬間、言葉を失った人も多かったようです。私の場合、仮想の「英雄神話」が崩れた瞬間でもありましたが、意識下では同じような失望を感じた人は少なくなかったのではないでしょうか。 「英雄神話」に何を期待していたのでしょう・・・試合前に選手たちが整列するのをみてすぐ気づかれたと思いますが、フランス代表チームはほぼ全員が黒人か北アフリカ(アラブ)系フランス人です。移民やかつての植民地出身者など、いわゆる「異」民族を国内に抱えることはヨーロッパで珍しくはありません。しかしながら、ほぼ全員が「非ヨーロッパ系」という選手構成のヨーロッパのナショナルチームはフランス以外にはありませんでした。 いわゆる生粋のフランス人(Francais desouche)ではない彼らがフランス代表として並ぶ姿はさながら傭兵の軍団のようでした。この非ヨーロッパ系ナショナルチームがかつての植民地政策・移民政策の名残りであることは明白で、「多文化社会の縮図」(以前、日本の実況アナがそう発言していて、ひっくり返りそうになった)という評価はあまりにおめでたいものだと言わざるを得ません。むしろ、貧困から脱出するためにサッカーを選んだ傭兵、あるいは、数年前から顕在化してきたフランスの移民社会と都市郊外の問題、構造的な差別など、未解決の問題を突きつけられているフランス社会の象徴としての新たな「傭兵」という定義こそが適切でしょう。もちろん「傭兵」と言っても、強大な帝国の勢力拡大のために戦う兵士ではあり得るはずもないわけですが。 フランス社会を表象する傭兵としてフランス代表チームを考えるならば、ジダンはもっとも相応しい英雄でした。マルセイユでの少年時代にはアルジェリア移民であるが故に虐められたとも聞きます。彼の南仏訛りのフランス語はフランス社会では決して「正統な」英雄になり得ないことを示しています。移民、訛り、いじめ、ジダン個人の負の部分はフランス社会の負の部分と重なります。また、彼の頭突きという行為から感情をうまく言語化できないタイプの人間なのだろうと思わざるを得ません。あくまで言葉の応酬(いかに汚い言葉、暴力的な言葉であろうと)でとどめるというルールに馴染まない人物・・・その意味でも彼は「正統な」ヒーローとは認められることはなく、あくまで傭兵の、異形の英雄にとどまるわけです。 ワールドカップへの出場すら危ぶまれていたフランスには「98年の優勝は地元開催だったからこその幸運」という嫌味なコメントを覆す力があるようには見えませんでした。しかしながら、ポルトガルに勝利して決勝トーナメントに進む頃から、ジダン率いるフランス代表は美しく戦い、勝利をおさめるようになりました。勝利の女神がフランスチームに舞い降りて、かつての栄光を取り戻すのではないかという期待、そこに新たな神話を読み取ろうとしたのは私だけではなかったと思います。 フランスに栄光をもたらそうと戦う傭兵の主将ジダンの姿、光と影を併せ持つ彼の姿にモーゼの姿を重ねたというのは大げさに過ぎるでしょうか。あまりに滑稽な妄想にすぎないとしても、ジダンの雄姿から「時期フランス大統領候補に」という声が聞こえてきたほどですから、同じような思いを共有する人はたしかにいたのでしょう。 ジダンという英雄が率いるナショナルチームはフランスのナショナル・イメージと重なり、国家的栄光という幻想にも繋がっていきます。そして、その栄光の頁を開く新たな英雄は、アルジェリア系移民の息子である――東西冷戦後の新しい国際秩序のなかで自らの立場を強くすることに腐心してきたフランスの政治家が、この新しい英雄イメージを利用しないはずがありません。大統領選挙を来年に控え、シラク大統領をはじめ大物政治家が自国チームの「栄光」にあやかりたいという野心とともに応援のためドイツへとやって来ました。移民問題という負のイメージを自国勝利の栄光によって多文化共存の幻想イメージに逆転できる、傭兵を多文化共存と言い換える愚かしい詭弁も栄光のうちに諒解されてしまうかもしれない・・・そのような幻想すら抱いたのかもしれません。ではないでしょうか。 ジダンの栄光がフランスの栄光となる、新たな神話。その誕生に立ち会えるのではないか、という期待は当然のことながら実現されることなく、私たちは苦い思いとともに取り残され、新たな神話や英雄は須臾のまぼろしであったと改めて思い知らされたのでした。神話や英雄伝説の擬態では世界は変わらないのだという事実を大きな溜息とともに飲み込んで、サッカーの祭りをおしまいにしたのです。イタリア・フランスの決勝戦後の「苦さ」の正体は、英雄の登場と神話的な劇的な展開を願った私たち自身の覚醒の苦さだったのです。フランスが今なお苦しむ過去の植民地支配と移民の問題に私たちが抱える問題を重ねて、解決不能にみえる複雑さ、努力しても一向に解決の光が見えない、その苛立ちからの逃避と夢想の結果でした。 神話や英雄を諦めた溜息の後、私たちを「レバノン危機」という現実の問題が待ちかまえていました。無責任な言い方に聞こえるかもしれないけれど、どう考えても「泥沼」の状態が続くのだろうと思う。私たちが生きる世俗の世界は、超越的なレッドカードやイエローカードを与える存在、つまり絶対的な審判者を認めないという前提から出発しているわけだから、快刀乱麻はあり得ないし、平和主義という大義も絶対的な価値にはなり得ない。ならば、いかに時間がかかろうと、人が死のうと、欺かれようと、議論と交渉を続けるしか道はない――このことを苦く噛みしめる必要があります。 絶対者(独裁者、あるいは宗教的超越的価値の体現者)や英雄の明快さ、速さ、完璧さ、純粋さを拒絶して(というか諦めて)、多義的な世界秩序を選んだ(受け入れた)・・・それは、混濁した曖昧さという意味でもあるわけですよね。代償は少なくはないということでしょうか。そして、ワールドカップが終わっても、英雄のいない時代に生きる私たちが味わうのはやはりamertumeであるというわけです。 日本のサッカーについても思うことがあったのだけど、それはまた次回に。 |