まず小論文試験ですが、社会問題に関するものではなく、
The Cambridge Encyclopedia of Language Second Edition の導入から出ました。言語と思考は果たして表裏一体なのか、それとも言語抜きの思考もあるのか、というテーマでした。
設問は和訳2か所、説明問題(200字)
「本文では言語と思考の密接な関係が述べられているが、我々の生活において言語は他にも重要な役割を果たしている。本文の内容を踏まえつつ、社会における言語の役割について、あなたの考えを600字以内の日本語で述べなさい。」という設問でした。
そこで、私は言語が思考を時空を超えて保存する方法であるとして論を展開しました。
(「古文をある程度理解していれば、枕草子を読んで清少納言の思考を想像できる」とか、「確かに、芸術は思考を保存する方法かもしれない。しかし、定義を辞書などで定める言葉と異なり、課題文のように言葉にできない感情で理解してしまうため、解釈が分かれてしまう。対して、言葉は定義を定められるので思考を保存しやすい。言葉でルールを定めて、口頭で伝えたり、文字にして残したりすることで、遠くにいる人も支配できる。実際、近代国家には必ず言葉で出来た法律がある。」とか書いたと覚えています。)
設問の路線の大幅変更には驚きましたが、自分の得意な領域に持ち込めたので安心です。
二時間、試験が続いたあと50分の休憩をはさみ、13時から面接が始まりました。私は、礼儀通りに3人の試験官に入室、挨拶、カバンを隣の「荷物置き」に置き、指示を受けてから座り、スピーチをするために立ち上がりました。
他大学の入試で経験した「驚いて何も口からでなくなってしまいました。」の真逆。すらすらと出ました。場数を踏むことの効果です。
残り一分の紙を掲げるタイムキーパーをするはずだった人は、その仕事を放棄していました。
「スピーチが面白いからつい聞き入ってしまった」そうです。
そこから質疑応答。
タイムキーパー試験官「私も××に住んでいた。どこに住んでいたの?」
同上「××には華僑が多いけど(結構長かった)、それについて教えて?」(世界有数の華僑数を誇る。財閥の多くは華僑が持っている)
右端試験官「私は中国語しかできないが、英語を旅行中に必死に話すことがある。その時に、思わず中国語が口をついて出ることがある。同じようなことがあるか?」
(英語と中国語は言語間の類似性がこうこうこうある。あと、私は日本語を話すときに英語が思わず出てしまうことがある)
中央試験官「あなたの志望理由書を見ると、言語、教育、経済、法律と興味が広範囲にわたることがわかる。どうして文学部を選んだのか?」
(文学部では、英語、中国語、言語学を同時に学ぶことができる。アドミッションポリシーにも、言語、文化、歴史に深い造詣を持つことが条件とされている。映像学、言語、中国語の文法を学びたい私にとってこの学部しかないと思った。)
同上「今、歴史とあなたは言ったが、私の専門は中世の西洋史学だ。歴史で学びたいことはあるか?」(識字率が高くなり、大衆文芸が花開いた江戸時代の文学について研究したい)
タイムキーパー試験官「あと2分ほどしかないので、簡単な質問にします。あなたの興味範囲は広い。そのため、卒論で書きたいテーマは?」(SLAで、映像、音声、字幕を用いて外国語を主体的に、楽しく学ぶ方法を研究したい。)同上「卒論を書くときは、ある程度専門を絞った方がいい」みたいなこと」
「今日はありがとうございました」と挨拶を再びして、試験は終わりました。
総じて、想定問以外のところを狙って出したような雑談会、といった感じでした。もちろん、こっちは必死ですが。(私のことをよっぽど信頼していたのか、消化試合としてみなされたのか)
想定外のことが多い入試でしたが、自分の専門分野に向かってくれたのでありがたかったです。
小論文に至ってはいつかFITの過去問としてやった問題で得た知識がそのまま役に立ちました。
以上
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