2022年 慶應大学法科大学院 未修  合格再現 Kさん

 今年度の慶應大学法科大学院未修の小論文を再現してみました。
 実際には、問2は100字ほど字数オーバーしましたが、カットして再現しました。それでも、清書する前に下書きに構成を書いていたので、忠実に再現できていると思います。今後の受験生の参考になれれば幸いです。


【問1
「フェイクニュース」という用語はどのような問題点を有しているのか。問題文の趣旨を要約しなさい。(600字以上800字以内)

 「フェイクニュース」という用語の問題とは、その定義が流動していることである。なぜなら、「フェイクニュース」とは、政治家・権力者にとって都合の悪い「有害な情報」を否定する政治的な目的として捉えられているからだ。ただ、その中身を見ると、意図的なデマ情報、だます目的のない誤った情報、プロパガンダなど、情報の種類は多様化している。つまり、多種多様な情報タイプをただ一言で解釈すると、それらを分類する境界線が曖昧になる。そうなると、その言葉は、政治家による恣意的な利用によって、本来の意味合いがなくなってしまう状況につながることで、問題は複雑になり、そもそも信頼性のある情報やそのソースを判断することが困難になってしまうのだ。
 たとえば、2016年米大統領選挙に当選後、トランプは自身に批判的な報道をするメディアを「フェイクニュース」と繰り返し呼び、頻繁に攻撃した。しかも、記者会見では「フェイクニュースを流す組織には質問を許可しない」と記者の質問する機会をシャットダウンした。実際に、このような潮流は世界的に広がっていて、「フェイクニュース」という用語は世界40ヵ国以上の政治家がジャーナリストやメディアを意図的に攻撃するために利用されている。
 このように、その用語は政治家が都合の良いように言論・表現の自由を制限するように使われ、すでに多種多様な情報タイプと同じカテゴリーに扱われる。その結果、「フェイクニュース」問題をより複雑にするのだ。この事態を解消するため、有害性のある情報を「フェイクニュース」とひとくくりせずに、むしろその用語の使用を避けて問題を対処する議論が進んでいる。そうすることで、「メディアリテラシー」、つまり情報やそのソースを適切に処理し、その背後にある意図を批判的に読み解く能力を培う教育で、事実に基づいた情報を判断することが期待できる、と言うのだ。(779字)



【問2

問題文の趣旨をふまえつつ、日本におけるオンライン時代のメディアリテラシー教育はどうあるべきか、あなたの見解を記しなさい。(1200字以上1400字以内)

 日本におけるオンライン時代のメディアリテラシー教育は、一般的な教育現場の過程に導入されるべきである。なぜなら、「メディアリテラシー」とは、コンテンツの批判的な分析とその根拠・データを評価する能力とされているが、そうしたクリティカルとロジカルシンキングは高等や大学教育で重視されているスキルであるからである。つまり、「メディアリテラシー」を培うには、「メディアリテラシー教育」を意識するのではなく、むしろそれが基盤である思考力を強化するカリキュラムを向上することに重点を置くべきなのである。
 たとえば、私の高校・大学では課題として論文を書き、提出しなければならないときには、同時にannotated bibliographyという文献まとめ・解読の提出も求められていた。それは、自身の課題に利用したコンテンツをリスティングし、なによりも著者の主張、根拠と結論を簡単にまとめた内容を400字ほど書くものであった。しかも、アメリカの大学に行くと、著者が使ったデータや根拠が正しいかという理屈の解説に加えて、著者のバックグラウンド・経歴も書くことが求められることとなる。これだけ課題を研究する際に触れたコンテンツの熟読・分析が要求されると、必然的に生徒・学生は著者が書いたコンテンツの弱点や問題点にも意識するようになる。当然ながら、指導者側は生徒・学生のその批判的な思考意識を評価するため、きちんと分析しないと良い点数・評価につながらない。このようなシステムは、生徒・学生が学習した内容に対して独自の考えや主張を求める教育の現場に適切である。
 となると、「メディアリテラシー」教育が重視する批判的分析と評価は一般的な教育現場の質を向上することで鍛えられる、と考えられる。とくに、英語の読解やリスニングのスキルを培うことで信頼できる情報コンテンツを得ることもできる。なぜなら、国外を拠点に置くメデイアに触れることで、個人がインプットできるコンテンツの視野を広げられるからだ。 たとえば、法整備が乏しい国であれば、政府が自国の報道機関を実質的にコントールできある事件や出来事に対して報道を統制・規制できる。そのため、語学力があれば、他国のメディア記事を通じて、隠された実態を知ることが可能である。日本では、他国の報道機関が発表したミスインフォーメンションがそのままメディアで広がる場合も考えられる。だとしたら、ネットで国外のメディアの現地ジャーナリストが書いた記事を読むことで、ある程度、事実に基づいた信頼性のある情報を見つけ出すことができる。こう考えると、語学力は信頼できるコンテンツをアクセスするのに必須である。したがって、ただ英語教育を向上することに意識するだけでも、「メディアリテラシー」に貢献できるのだ。
 そもそも、課題文が取り上げる教育方針は実用的ではないと言えるだろう。どれも、一般的なユーザーが日常生活のなかで実践できるものではないからだ。「ジャーナリズムスクールアプローチ」で提唱されている手法は、ジャーナリズムという専門職を志す者が長年にかけて磨き上げるスキルである。チェックリスト方式もユーザーが積極的に毎回ファクトチェックする意識に期待するものである。だとすれば、批判的な思考力は生徒や学生が教育を行うプロセスに導入されるべきなのである。したがって、「メデイアリテラシー」は一般教育の改革や向上として捉えるべきなのである。(1395)