【問1】
国民代表の理念とは、代議士が選出される選挙区の利益を重視しながら、それでもあえて代議士の判断の優位と独立性を尊重する意味の代表の理念である。代議士は自己の利益よりも選挙区にいる有権者の利益を優先する必要がある。しかし、それを優先しすぎた結果、自分の意見、判断、良心を犠牲にして有権者に対し忠実であることは他の有権者の民意を犠牲にする。だから、代議士は選挙区の有権者と適切な距離間をとる必要がある。つまり、代表は特定の利益集団の考えに忠実であるべきか、それとも国民全体の利益を考慮してその集団から完全に独立して行動するべきなのか考えなければならない。
この問題には委任と独立の関係が問題となろう。すなわち、特定の集団に忠実に行動するならば委任と命令の関係が代表と有権者の間で生じる。これでは、代表が創造性やリーダーシップを発揮することは困難だ。なぜなら代表の判断の裁量が制約されるからだ。しかし、代表が有権者から完全に独立してしまうと、市民感覚を喪失し、反民主的なエリート主義を認めることになる。だから、代表は有権者との委任・命令関係の関わり合いを考える必要がある。
例えば、日本の国会議員は、出馬する選挙区で当選するために選挙地域の社会集団、利益集団からの物理的・精神的な援助が必要となる。議員はそのような援助を受けた場合は彼らの意見を国政に反映させようとするだろう。しかし、彼らの意見を尊重させすぎれば、日本の国民全体に不利益を生じさせる。それは、代表が特定地域の集団等に便宜を図ってしまうためだ。しかしながら、選挙区の集団の有権者の繋がりから完全に独立してしまったら、その代表は選挙で当選することができない。つまり、代表は有権者に委任するか有権者から独立するかという二者択一の選択はできない。
そもそも代表の意味が複層性を有している。すなわち、代表とは曖昧な定義であり、有力な定義を相補的に組み合わせたものである。そこで、国民代表は代表の民主的な性格とエリート主義的な性格との中庸な立場である必要がある。(851文字)
【問2】
筆者は、選挙活動の際に多種多様な意見を有する有権者の間で議論がなされ、能動的な政治が実現されることが代表制の本質であると捉える。これは、有権者の民意を政治に反映させやすい直接民主制の議論に整合的である。しかし、有権者の意思を国政にそのまま映し出すことは代表の判断が入り込む余地を与えない。つまり、政治過程が国民の曖昧で不定型な意思を表現するための形式的な装置となる。これに対し、代表制はいかなる意志も政治への反映が留保される。国民の民意を再考し政策体系に昇華させることで、代表は政治決定において判断が可能となる。その結果、有権者の意志と代表の判断の不一致から民主的な議論が喚起され、活発な政治参加の必要が生じる。
そこで国民がしなければならないことは、代表の利己的行動と民意から距離を置いた議論とを正確に区別し、代表の議論が適切であると認められる場合には、常に民意を伝えて政策論争の題材を提供することだという。その際、直接民主制を否定する必要はない。民主主義を維持発展させるには、直接民主主義を推進しながらも、代表制を補完する材料として機能することが必要不可欠だからだ。このような直接民主制と代表制との相互補完的な関係が民主主義を活性化させるのだ。
この意見自体は妥当である。なぜなら、有権者の意思と代表の判断の齟齬を解消するには活発な議論が喚起され、活発な政治参加が必要不可欠だからだ。しかし、現状、そのような場が設けられているのだろうか。結論から言えば、代表と有権者との間で活発な議論が行われる場が諸外国と比べて少ない。これでは、民意と代表者の判断の不一致は免れない。そこで、政府は有権者、代表、専門家等で実施される議論の場を設ける手助けを行うべきだ。
例えば、コンセンサス会議が挙げられる。コンセンサス会議はデンマークで始まり、議題となる、社会的論争のある科学技術について、専門的な知識を持たない一般市民が会議の主導権を握る点に大きな特徴がある。そこでは、食物への放射線照射、ヒトゲノムの解読等の問題について、政府・専門家・市民で話し合われた。専門家の説明する科学技術を理解したうえで市民の観点から提言を行うことで市民は政治に興味や関心もつきっかけを与える。その結果、市民の積極的な政治参加が期待されるのだ。
しかしながら、現状の日本では、民主的な議論を行う前提となる場が多くはない。このような状態で、有権者の意思と代表の判断の齟齬を解消するには活発な議論が喚起され、活発な政治参加が行われるなどというのはまさに机上の空論である。民主主義を活性化させるためにはまず代表と有権者との間で活発な議論が行われる場を設けることが急務である。
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