18年 早稲田大学法科大学院 未修  合格再現 Mさん

おかげさまで、早稲田大学の法科大学院に合格しました。
再現答案を書いてみました。

問(1)の最後1行は蛇足だったかもしれません。
私は文章をそのまま抜き出して使ってしまう悪癖があったので、ボカボで学んだように、問題に合わせてなるべく要素を変形・編集するように意識しました。
問(2)は稚拙な例示となってしまいましたが、具体例が何もないよりはましだと思い、時間ぎりぎりまで粘って書きました。少しでも参考になれば幸いです。


(1)(1頁以内)
 「アーキテクチャ」とは、「何らかの主体の行為を制約し、または可能にする物理的、技術的構造」である。すなわち、アーキテクチャは、個人の自由を規制する側面と、個人の権利・自由を保護する側面を有している。確かに、後者のようにプラスの面もあるのだが、レッシグは前者の側面を問題視している。というのも、アーキテクチャを法や社会規範と並ぶ規制の一類型として捉える視点に立つと、2つの問題点が浮かび上がるからだ。
 1点目は、個人に選択の自由が与えられない点である。法的規制と異なり、規制を受ける個人に規制に従うか否かを選択する機会も、「市民的不服従」の余地も与えないため、より完全な規制を期待できる一方、自由に対するこれまでにない脅威となり得るのだ。
 2点目は、開発者中心で設計された点だ。一部の企業や技術者が、コードの設計に決定的な地位を占めており、法的規制と異なり民主的正統性を欠いているのだ。
 これら2点の問題点を解消しうるのが「選択的アーキテクチャ」である。サンスティンが個人の選択の自由を尊重しつつ、個人がよりよい選択を行うことができるように介入する「リバタリアン・パターナリズム」という政治哲学的立場から、個人の選択の環境を構築するものだ。更に、セイラーはそこにおいて利用者中心の選択環境の構築を試みている。

(2)(字数制限なし)
 ナッジとは、特定の選択肢を排除したり、インセンティブを大きく変えたりせずに、当人の利益になるように個人の選択に影響を与える「選択アーキテクチャ」を指す。ナッジは、個人に大きなコストを伴わずにオプトアウトを行う自由を認めている点で、個人の選択の自由を尊重しているといえる。このことは、従来の「アーキテクチャ」における個人の選択の自由が与えられない問題点を解消しているといえよう。
 しかし、ナッジを利用することで、ナッジに“利用”されないように注意する必要があると考える。ナッジは、発信者と受信者に情報の不均衡がある可能性があり、受信者側がナッジをうのみにしてしまうと、自分で選択したつもりが、ナッジに選択させられていることになりかねない。
 確かに、ナッジを活用することで、複雑で分かりにくくなりがちな情報を分かりやすく単純化し、人々の選択を容易にさせることができる。実際、デフォルトは、人々に行為の基準を提示し、個人の自律を支援するとともに、厚生を増大させる機能を担ってきた。
 しかし、こうした保護の一方で、ナッジは間接的な方法で当該行動を促進または抑制するという、コントロールする側面をもつことに注目すると、ナッジの使い方次第では、「誘導」そのものとなる危険性をはらんでいるのだ。
確かに、人間の合理性には限界があるので、それをナッジで補うことは有用であるといえよう。だが、合理性の限界に達しておらずとも、ナッジの利便性に安易に依存する行動を人間はとりかねない。例えば、フェイスブックでは、デフォルトでプライバシー設定がなされているが、そのままでは個人情報が公開され、プライバシー侵害が起こる危険性がある。プライバシー保護のためには、個人がデフォルトからプライバシー設定を詳細に編集する必要があるのだが、自ら考えずにデフォルトに依存してしまうと、そのことにすら気づかない。
このように、情報の発信者と受信者の間に情報の不均衡があるために、知らず知らずのうちにナッジに自分自身にとっては不利益な選択をさせられている場合もあり得るため、ナッジを安易にうのみにせず、合理性の限界を超えてはじめて利用する慎重な姿勢が必要である。