12年 東京大学法科大学院  合格再現答案 Nさん

 東京大学法科大学院の再現答案です。完璧に再現できたかどうかはわかりませんが下書用紙を参考にして、可能な限り再現してみました。皆さんの参考になるとうれしいです。

今年の東大の問題は小論文というよりは現代文の問題に似ており、その意味では吉岡先生の書籍である「東大入試に学ぶロジカルライティング」を熟読したことが合格の一因ではないかと思っています。今年の傾向が続くのであれば、この本を使用した学習が効果的であると思います。



総合問題 第1問

(1)「もしも相手を対象化し、周囲から切り離して部分化したりすれば、それがまったく味気ないものになってしまう」のは、何かに働きかけるのではなく、何かを享受する際に捨象を行うと事象を十分に把握することが出来なくなってしまうからである。つまり、ここで重視されるのは主観であり、事象の全体を引き受けることで何かを感じとることが有意義なこととなる。にも関わらず捨象すれば、事象を部分的にしか把握出来ず、面白みが減少してしまうのである。

(2)一旦ルールを決め、これを社会的な仕組みの一部とした事項はよほどのことがない限り、それに従うことを一々検討する必要がなくなる。そのため、様々な事柄を効率的に処理することが可能となる点でメリットとなる。一方で、決められたこと以外は実施出来ないことや一つ一つの事象を検討しないと、新たな発見や革新に関心が及ばなくなる点でデメリットとなるのである。

(3)「功罪半ばする忘れられてはならない側面」とは、人間の主観性と自然界を支配する因果性は独立し、さらに科学はあらゆる価値判断から自由であるとしたことである。デカルト哲学は精神と物体を明確に区別することで自然的で必然的な因果関連によって現象を説明する方法を本格的に推し進めるための基礎付けをした。つまり、デカルト哲学は近代科学を推進するための起爆剤となったのだ。その際に自然界を支配する因果性を解明する科学と人間の主観性である価値判断を区別することが絶対的な近代科学の方法と認識され、制度化されるようになった。しかし、近代科学を推進したこの方法が現代においてはある種の足枷となっている。というのも、この方法を絶対視した研究者は、科学の本来的な役割である新たな真理の探究ではなく、既成の方法の推進や部分的改良に関心が向かっているからである。このように、デカルト哲学は近代科学の発達のアクセルとブレーキの両方の影響を及ぼすこととなったのである。


総合問題 第2問

(1)この世代がデモクラシーを育むことがないのは政治自体に興味がなくなったからだ。というのも、この世代は一旦は下からの資本主義を考え、行動に移したが成功することはなく絶望感に苛まれたからだ。つまり、下からの資本主義が不成功に終わったことにより自ら活動を行うことに興味がなくなり、そして政治にも興味がなくなってしまったのである。これに対して、2011年の20〜30歳台は自分より上の世代の失敗を見ており、仮に下からの資本主義を実行に移しても不成功に終わることを理解している。そのため、同様に政治に興味がなくなっていると考えられる。したがって、この世代も筆者の考えに沿うとデモクラシーを育むことは出来ないであろう。

(2)文明度がある程度高い社会においては上からの資本主義がある程度成功しているため「正義漢」が現れないのである。なぜならば、上からの資本主義が成立するためには決められたルールを守ることや上へ反抗することを抑圧する必要があり、そのためには相互監視が必要となるからである。相互監視が行き渡っているため、声を上げることは厳しくそのために「正義漢」は現れないのである。

(3)3回目の上からの資本主義が下からの資本主義に打破される危険性を回避することが出来るのは日本人がデモクラシーに無関心だからである。民衆がデモクラシーに無関心であれば、上からの資本主義を打破することが出来ない。なぜなら、下からの資本主義は民衆のデモクラシーを基礎とするからである。上からの資本主義を打破するためには、民衆がデモクラシーに関心を寄せ、民衆が「上」の勢力と争う必要があるが、そもそもデモクラシーに無関心であれば、下からの資本主義が成長することもない。そのため、民衆がデモクラシーに無関心である限り今後も上からの資本主義が継続していく。この点、現下の日本における状況からしても民衆がデモクラシーを育んでいるとは考えにくい。例えば、国政選挙の投票率が以前として高い水準とならないこともこの証左となろう。このように民衆がデモクラシーに関心を寄せない限り、今後も上からの資本主義は危機を向かえたとしても打破されることはないであろう。