09年 慶應義塾大学法科大学院 合格再現答案 Mさん

私が慶應の試験で書いた答案を再現してみました。
本番から時間がたちましたが、メモがしっかり残っていましたので、ほとんど同じだと思います。

言葉の言い回しなどに違いがあるかと思いますが、論の骨子と段落構成は本番で提出したものと全く同じです。




問題1

 内閣府が平成16年に行った死刑制度の存廃に関する世論調査の結果を示す図(図1〜図6)を前提として、日本国民は死刑制度の存廃についてどのように考えていると思われるか、800字以内で述べなさい。


 本問に答えるにあたって、この統計が「サンプルの偏り」などの問題を有しておらず、日本国民の意見を正しく反映しているものであるとして、論を進める。
本問における世論調査から、日本国民は死刑制度を依然として高い割合で支持しているものの、その支持理由は弱いものに変化していると考える。
 まず、図1の表だけ見ると、日本国民は従来と同様に死刑制度を支持しており、今後もこの傾向が続くように思える。なぜなら、図1の表では、死刑制度を支持する者が全体の8割と依然として高い割合を占めており、しかも、年齢の違いによる支持率の変化が見られず、この表からは支持率が変化する可能性は読み取れないからである。
 しかし、これを図6の表と比較することで、若い世代になるにつれて従来とは異なった理由から死刑制度を支持しているという傾向が読み取れる。図6の表からは、世代が若くなるにつれて死刑の犯罪抑止力に期待する割合が低くなる傾向が読み取れる。しかも、この傾向に対して、図1の通り世代による死刑制度支持率の変化はない。このことから、若い世代ほど犯罪抑止力以外の理由で支持していることが分かる。
 さらに、図5の表とも比較することで、その支持理由が弱いものであることが分かる。図5の表では、将来も死刑存置を支持する割合が、図6の犯罪抑止力に対する傾向と同じように、若い世代になるにつれて高まっている。これらのことから、死刑制度を支持する者は年齢が低くなるにつれて犯罪抑止力以外の理由から支持しており、その理由は抑止力に比べて弱いものになっていることが分かるのである。

 以上のように、日本国民は依然として高い割合で死刑制度を支持しているものの、その支持理由は弱いものに変化しており、この傾向が続けば今後死刑制度の支持率自体が減少することも考えられるのである。

 

問題2

 問1との関連において、死刑制度の存廃やその他の重要問題に関し、政策決定者が世論と異なる政策を主導し、決定することは正当化されるかどうかについて、根拠を含めて1500字以内で述べなさい。

 政策決定者が世論と異なる政策を主導し、決定することは原則として許されるべきではないと考える。ここでいう政策決定者とは主に、国会議員や地方議会議員といった国民の投票により選ばれる者を指す。つまり、彼らは国民の意見を代行する存在であり、国民の意見である世論に従うことが求められるのである。
 ただし、この原則にはいくつか例外があると考える。その1つ目が、政策決定者の決定が世論として表明されているものに反するものの、それが真の国民の利益に合致する場合である。この場合は、国民の利益とそれを表明したはずの世論との間にズレが生じていることが前提となる。そして、政策決定者が取るべき行動は国民の利益に資する決定を行うことなので、そのために国民の利益を正しく反映していない世論に反したとしても許されるべきである。
 例えば、死刑制度を廃止して終身刑制度を導入する場合が、この例外にあたる可能性がある。死刑制度は、本問における世論調査のとおり8割が支持しており、これを行うことは世論に反する許されない行為にあたるように思える。しかし、もし死刑制度支持者が、死刑の残虐性にためらいつつも再犯の恐れから支持しており、また、死刑反対者の根拠が「生かして罪を償わせるべき」や「人を殺すことに反対」である場合には状況が変わってくる。この場合、死刑制度を廃止して終身刑制度を導入することは、死刑制度賛成派と反対派をあわせた国民の利益に合致することになり、表面的には世論に反するとしても許されるべきである。
 また、政策決定者が世論に反することが正当化される場合の2つ目として、それが少数者の重要な権利や利益を保護するためになされる場合が考えられる。国民の世論とは、しばしば国民の多数派の利益を意味する場合がある。その場合、多数派の利益に反する少数派の利益は、国民の世論に含まれないことになる。しかし、全ての人には生命・身体の保存や自由の確保といった生きるうえで誰もが最低限保障されるべき権利がある。したがって、政策決定者が少数者の大事な権利を守るために、国民の多数派の利益である世論に反することは許されるべきである。
 これにあてはまる場合として、例えばダム建設とアイヌ民族のアイデンティティーを争った訴訟の判決が考えられる。このダム建設は、周辺の人々の経済的利益に資するものであり、多数派の利益を反映したものであった。しかし、少数民族であるアイヌ民族にとっては、これによりアイヌ文化を支える土地と村が水没してしまい、文化という自らのアイデンティティーを大きく損なう恐れがあった。アイヌ民族のような少数民族にとって、文化のようなアイデンティティーは、生命・身体と同程度に自己保存に必要なものである。しかも、アイヌ民族は歴史的に周囲の住民に比べて経済的に劣位な状況に陥っており、保護しなければ文化に関係する土地や村がどんどんなくなる状況にあった。これに対して判決では、ダム建設の大部分がすでに終了していたことから取り壊しは許可されなかったものの、建設前の計画段階であればアイヌ民族のアイデンティティーを理由として、ダム建設を中止できる可能性があるとした。つまり、少数者の大事な権利を守るために、多数者の利益に資するダム建設の中止を政策決定者が行ったとしても正当化されるべき場合があるとしたのである。

 以上のように、政策決定者が世論と反する決定を行うことは原則許されるべきではないが、例外としてそれが真の国民の利益に合致する場合や少数者の大事な権利を守る場合には許されるべきであると考える。