7/20 法科大学院「早稲田の申述書」 書き方のヒント 早稲田の申述書の課題が発表されましたね。一昨年とよく似ていて、1年間の新聞記事の中から重要だと思われるものを一つ選び、理由とともに論ずるというものでした。 |
7/13 The Longest and Hottest Summer! 言っても仕方ないですけど、とにかく「暑い!」。その中で、法科大学院も出願締め切りが迫っていて熱い! 今年は各校の締め切りが7月末に固まっているので、とにかく受講者も熱い! 毎日いろいろな人からドラフトやら質問やら入会申し込みやら来ます。それに対応するスタッフもてんてこ舞い。朝から晩まで、コンピュータの前でカチャカチャやっています。忙しさと暑さで夏風邪など体調を崩した人もちらほら。 受講生の方からは「きっと大変でしょうね。頑張ってください」などと逆に励まされる始末。やさしい心遣いありがとう! とはいっても、添削が遅れるわけにはまいりません。頑張りますよ! この時期を見越して添削スタッフも増員しました。尊敬する友人のM氏とU氏に助っ人をお願いしたのです。M氏は歌人です。雄渾なというか、男っぽい短歌を作る。U氏は逆に繊細な方。二人とも、添削のワザにかけては天下一品。的確な指導をしてくれると思います。もちろん、私も最終チェックしますけど。 他の仕事もこの時期いろいろ重なっています。まず、懸案だった講談社現代新書がいよいよ8月20日に出ます。苦労したけど、今までの日本にないオリジナルな本になっていると思います。その著者校をやっています。締め切りは明日。タイトルも決まりました。題して「だまされない〈議論力〉」。ちょっとすごそうでしょ? さらにTOEFL Writingの本も進んでいます。共著者が英文、私がその解説の日本文の担当なのだけど、こういうのもBilingualと言うのかしらん? 二人であれこれとやりとりしているうちに、次第に内容が出来上がっていくのは、社会学者デュルケームの「社会分業論」の世界そのものです。彼は分業が進むことで、個人は相互に堅く結びつき、社会全体の連帯を増していくと構想しました。たしかに共同作業は楽しい。二人でサッカーの話をしながら、仕事は着々と進んでいます。 そのうえ(こうなってくると接続詞もやや苦しいが)この間作った長文記述問題集改訂版の入門編も作ります。圧倒的好評を博したこのシリーズを比較的やさしいレベルから解説します。高校低学年の生徒に書く力を学ばせたい先生方、画期的な問題集になりますので、乞うご期待! それを縫って(ああ、何とか接続を工夫できた!)この時期、高校に講演へ。屋代高校、宇都宮中央女子高校、川越女子高校と回って、これから上田高校、野沢北高校など。毎年、この時期になると高校行脚になります。毎年、歳の差が開くためか、かわいらしさと元気良さをより強く感じるようになりました。若さっていいな、と素直に言える。もう自分がその渦中にいないからですね。 というわけで、いつもは自分が戒めている列挙が連続する文章でした。受講生の皆さん、こういう積み重なりばかりの文章を書いちゃいけないよ。因果関係が薄れますからね。でも、これが現実の生の姿かもしれないけど。 さて(最後の段落で話題転換もいけません、ってほとんど自己添削になっていますね)、今年はThe Longest and Hottest Summer! になりそうです。というより、毎年夏はより暑くより長くなってきている。一日一日精一杯のエネルギーを出して勝負せよ、と運命が言っているのでしょうか? 結局ロースクールを受験しようとしている皆さんとほぼ精神状態は同じ、ということになりますね。うーん、頑張ろう! |
7/8 骨董化した町「下仁田」 先々週に親類の葬儀で群馬県下仁田町に行ってきました。軽井沢まで車でほんの30分のところなのだけど、同じ日本ですごく違う。軽井沢はすっかり消費と観光のザワザワした街になってしまいました。でも、その山の下にある下仁田はそんなものと無縁の街です。 人口約10,000人。昔は、かなり経済的に栄えたらしい。周囲の山から切り出す木の集散地であり、日本全国の蒟蒻(こんにゃく)相場が立つ地なので、戦前から高度成長以前までは成金もかなりいたとか。町を歩くと倉庫や土蔵だらけ。二階建て木造の立派な宴会場。大正ロマン風のインテリアの残る旅館なども、私が数十年前に来たときとほとんど変わらない。 ただ、それがどれも古ぼけ始めている。たとえば、宴会場は使われなくなり、その一部を改造してちっぽけなトンカツ屋が作られ、しかもそれも閉店したらしく、ドアに板が打ち付けられ、今は草がぼうぼうに茂っている。町の人々の部屋に入ると、立派な木のデスクとか柿の木で作られた茶箪笥とか、何十万もしそうな古道具が無造作に置かれ、現代のものはその中で居心地悪そうにちんまりとしている。
言うなれば、この街は産業がなくなって、日常生活だけが残った街です。もう新技術にキャッチ・アップする必要もない。市場原理に左右されることもない。自分になじみがあるものだけで周囲を固めて、その中で居心地良く生きる。高度成長をパスし、消費社会をやりすごし、昔獲得した豊かさを糧に暮らしを続けていくという雰囲気。 高度成長以後、こういう第一次産業に頼った街は衰退して、製造業が発展した。大工場で新技術を使って製品がどんどん作られ、地方の農家の次男坊・三男坊はこぞって大都市の郊外の団地に引っ越してきて、工場に働きに出た。そこには店や学校も作られ、娯楽の施設も整った。それが昭和30年代以後の日本の風景になった。 結局、「田舎」は都会に食糧を供給する基地として特化するしかない。たとえば仙台平野の農村などが、その典型的な風景。どこまでも田圃が真っ平らに拡がる単調な風景。車を走らせても、ほとんど人に出会わない。人の気配すらない。まるで田圃の砂漠。これが昔私の暮らした東北の農村かと思うと、何だかツライ感じがします。同じ田園地帯でも、人ががさがさ動いている気配に満ちているバリ島とは大違いです。 そういう意味で言うと、下仁田は高度成長以前の面影を残している希有な街かもしれません。昔の豊かな名残が時間が止まったように、そこここに残っている。街全体が「骨董」化しているというのか…。宮崎駿の「天空の城ラピュタ」と言ったら言い過ぎか…。 高齢化と少子化が進む中、こういう街はこれからかえって脚光を浴びるような気がする。経済発展はもうええ加減にせえ、という雰囲気が何となく感じられるからです。若い人は「金、金」と言うだろうけど、中年以降はもうそれより大事なことがあるでしょう。それは「時間」です。ハイデッガーじゃないけれど、時間は今ここに過ぎつつある「現在」の集積ではない。 過去を振り返り、未来へ希望を投射し、それに従って現在を生きる。そういう三重の構造をしている。過去がないと、未来へのビジョンもないし、現在の充実もない。過ごしてきた時間を振り返り、それを価値づけ、よいものはしみじみと愛で、くだらぬものは忘れたり廃棄したりする。その積み重ねが時間となる。 今、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を読んでいるせいもあるかもしれないけど、人間にとって「善きものとは何か?」とこの頃考えます。そういえば、若い頃は「善きもの、何だ、それ!」ヘッという感じでやり過ごしていたのだけど、人生も中途を過ぎてしまうと、金や名誉より「善きことをしておきたい」としみじみ思います。後世に過去を託すというのかな…。それに、日本全体がそういう成熟の時期にさしかかっている気もする。 高度成長という暴力の爪痕が奇跡的に残っていない街を見ながら、それ以前の残されている栄華をたどる…。これがかつての金と欲の渦巻いた様を距離を取って、客観的に見る姿勢につながります。人間の欲望を鑑賞する中で自分の欲望を去る、ちょっと複雑でペーソスがある心境ですね。下仁田って、そういう情緒に浸るにはよい街かも知れませんね。骨董のような町に一度いらしてみたら? |